無くなつたには相違無い。それは今昔物語に見えてゐる如くに、将門の父の良将の遺産を将門が成長しても国香等が返さなかつたことで、此の様な事情は古も今もやゝもすれば起り易いことで、曾我の殺傷も此から起つてゐる。今昔物語が信じ難い書であることは無論だが、此の事実は有勝の事で、大日本史も将門始末も皆採つてゐる。将門在京中に既に此事があつて、貞盛と将門とは心中互におもしろく無く思つてゐたところから、貞盛の言も出たとすれば合点が出来るのである。
 今一つは将門と源護一族との間の事である。これは其原因が不明ではあるが、因縁《いんねん》のもつれであるだけは明白である。護は常陸の前《さき》の大掾《だいじよう》で、そのまゝ常陸の東石田に居たのである。東石田は筑波《つくば》の西に当るところで、国香もこれに居たのである。護は世系が明らかでないが、其の子の扶《たすく》、隆、繁と共に皆一字名であるところを見ると、嵯峨《さが》源氏でゞもあるらしく思はれる。何にせよ護も名家であつて、護の女を将門の伯父上総介良兼は妻にしてゐる。国香も亦其一人を嫁にして貞盛の妻にしてゐる。常陸六郎良正もまた其一人を妻にしてゐる。此の良正は
前へ 次へ
全97ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング