らぬ。未だ父の国香が殺された訳でも無し、将門が何を企てゝ居たにせよ、貞盛が牒者《てふじや》をして知つてゐるといふ訳も無いのに、たゞ悪い者でござる、御近づけなさらぬが宜しいとでも云ふのならば、後世の由井正雪熊沢蕃山出会の談のやうな事で、まだしも聞えてゐるが、打殺さぬが口惜しいとまで申したとは余り奇怪である。然すれば貞盛の家と将門とが、もう此時は火をすつた中であつて、貞盛が其事を知つてゐたために、行く/\は無事で済むまいとの予想から、そんな事を云つたものだと想像して始めて解釈のつく事である。こゝへ眼を着けて見ると、古事談の記事が事実であつたとすると、国香が将門に殺されぬ前に、国香の忰《せがれ》は将門を殺さうとしてゐたといふ事を認め、そして殺さぬを残念と思つたほどの葛藤《かつとう》が既に存在して居たと睨まねばならぬことになるのである。戯曲的の筋は夙《はや》く此の辺から始まつてゐるのである。
将門は京に居て龍口の衛士になつたか知らぬが、系図に龍口の小次郎とも記してあるに拠《よ》れば、其のくらゐなものにはなつたのかも知れぬ。が、其の詮議は擱《お》いて、将門と貞盛の家とは、中睦《なかむつま》じく
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