に遊んで、卒業後東京の有力者間に交際を求め、出世の緒を得ようとしてゐるやうなものである。此処で考へらるゝことは、将門も鎮守府将軍の子であるから、まさかに後の世の曾我の兄弟のやうに貧窮して居たのではあるまいが、一方は親無しの、伯父の気息《いき》のかゝつてゐるために世に立つてゐる者であり、一方は一族の長者常陸大掾国香の総領として、常平太とさへ名乗つて、仕送りも豊かに受けてゐたものである貞盛の方が光つて居たらうといふことは、誰にも想像されることである。ところが異《をか》しいこともあればあるもので、将門の方で貞盛を悪く思ふとか悪く噂《うはさ》するとかならば、※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2−5−68]嫉猜忌《ばうしつさいき》の念、俗にいふ「やつかみ」で自然に然様《さう》いふ事も有りさうに思へるが、別に将門が貞盛を何様《どう》の斯様《かう》のしたといふことは無くて、却《かへ》つて貞盛の方で将門を悪く言つたことの有るといふ事実である。
 勿論事実といつたところで古事談に出て居るに過ぎない。古事談は顕兼《あきかね》の撰で、余り確実のものとも為しかねるが、大日本史も貞盛伝に之を引いてゐる。それは斯
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