山陽、西海を狂ひまはつたのかも知れない。純友は部下の藤原恒利といふ頼み切つた奴に裏斬りをされて大敗した後ですら、余勇を鼓《こ》して一挙して太宰府《だざいふ》を陥《おとしい》れた。苟《いやしく》も太宰府と云へば西海の重鎮であるが、それですら実力はそんなものであつたのである。当時|崛強《くつきやう》の男で天下の実勢を洞察するの明のあつた者は、君臣の大義、順逆の至理を気にせぬ限り、何ぞ首を俯《ふ》して生白い公卿の下《もと》に付かうやと、勝手理屈で暴れさうな情態もあつたのである。
将門は然しながら最初から乱賊叛臣の事を敢《あへ》てせんとしたのではない。身は帝系を出でゝ猶未《なほいま》だ遠からざるものであつた。おもふに皇を尊び公に殉《じゆん》ずる心の強い邦人の常情として、初めは尋常におとなしく日を送つて居たのだらう。将門の事を考ふるに当つて、先づ一寸其の家系と親族等を調べて見ると、ざつと是の如くなのである。桓武天皇様の御子に葛原《かづらはら》親王と申す一品《いつぽん》式部卿の宮がおはした。其の宮の御子に無位の高見王がおはす。高見王の御子|高望王《たかもちわう》が平の姓を賜はつたので、従五位下、
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