位である、それは承平七年の四月七日である。さすれば純友と将門と合謀の事は無い。随《したが》つて叡山|瞰京《かんきやう》の事も、演劇的には有つた方が精彩があるかも知れないが、事実的には受取りかねるのである。そこで夙《つと》に覬覦《きゆ》の心を懐《いだ》いてゐたといふことは、面白さうではあるが、正統記に返還して宜《よ》いのである。正統記の作者は皇室尊崇の忠篤の念によつて彼の著述をしたのであるから、将門如きは出来るだけ筆墨の力によつて対治して置きたい余りに、深く事実を考ふるに及ばずして書いたのであらう。山陽外史に至つては多く意を経ないで筆にしたに過ぎない。
将門が検非違使《けびゐし》の佐《すけ》たらんことを求めたといふことも、神皇正統記の記事からで、それは当時の武人としては有りさうな望である。然し検非違使でゞもあれば兎に角、検非違使の別当は参議以上であるから、無位無官の者が突然にそれを望むべくは無い。して見れば検非違使の佐か尉《じよう》かを望んだとして解すべきである。これならば釣合はぬことでは無い。其代りに将門の器量は大に小さくなることであつて、そんなケチな官を望む者が、純友と共に天子関白わけ取りを心がけるとなると、前後が余りに釣合はぬことになる。明末の李自成が落第に憤慨して流賊となつたやうなものであると、秀堅は論じてゐるが、それは少しをかしい。彼《かの》国の及第は大臣宰相にもなるの径路であるから、落第は非常の失望にもならうが、我邦で検非違使佐や尉になれたからとて、前途洋※[#二の字点、1−2−22]として春の如しといふ訳にはならない。随つて摂政忠平が省みなかつたために検非違使佐や尉になれ無いとて、謀反《むほん》をしようとまで憤怨する訳もない。此事は、よしやかゝる望を抱いたことが将門にあつたとしても、謀反といふこととは余りに懸離《かけはな》れて居て、提燈《ちやうちん》と釣鐘、釣合が取れ無さ過ぎる。鷹洲は此事を頭から受取らないが、鷹洲で無くても、警部長になれなかつたから謀反《むほん》をするに至つたなどといふのは、如何に関東武士の覇気《はき》勃※[#二の字点、1−2−22]《ぼつ/\》たるにせよ、信じ難いことである。で、正統記に読まれることは御免を蒙らう。随つて将門始末に読まれることも御免蒙らう。
将門謀反の初発心《しよほつしん》の因由に関する記事は、皆受取れないが、一体当時の世態人情といふものは何様《どん》なであつたらう。大鏡で概略は覗へるが、世の中は先づ以て平和で、藤原氏繁盛の時、公卿は栄華に誇つて、武士は漸《やうや》く実力がありながら官位低く、屈して伸び得ず、藤原氏以外の者はたまたま菅公が暫時栄進された事はあつても遂に左遷を免れないで筑紫《つくし》に薨《こう》ぜられた。丁度公の薨ぜられた其年に将門は下総に勇ましい産声《うぶごえ》をあげたのである。抑《そも/\》醍醐帝頃は後世から云へばまことに平和の聖世であるが、また平安朝の形式成就の頂点のやうにも見えるが、然し実際は何に原因するかは知らず随分騒がしい事もあり、嶮《さが》しい人心の世でもあつたと覚えるのは、史上に盗の多いので気がつく。仏法は盛んであるが、迷信的で、僧侶は貴族側のもので平民側のものでは無かつた。上《かみ》に貴胄《きちう》の[#「貴胄《きちう》の」は底本では「貴冑《きちう》の」]私曲が多かつたためでもあらうか、下には武士の私威を張ることも多かつた。公卿や嬪媛《ひんゑん》は詩歌管絃の文明にも酔つてゐたらうが、それらの犠牲となつて人民は可なり苦んでゐたらしい。要するに平安朝文明は貴族文明形式文明風流文明で、剛堅確実の立派なものと云はうよりは、繊細優麗のもので、漸※[#二の字点、1−2−22]《ぜん/\》と次の時代、即ち武士の時代に政権を推移せしむる準備として、月卿雲客が美女才媛等と、美しい衣《きぬ》を纏《まと》ひ美しい詞を使ひ、面白く、貴く、長閑《のどか》に、優しく、迷信的空想的詩歌的音楽的美術的女性的夢幻的享楽的虚栄的に、イソップ物語の蟋蟀《きりぎりす》のやうに、いつまでも草は常緑で世は温暖であると信じて、恋物語や節会《せちゑ》の噂で日を送つてゐる其の一方には、粗《あら》い衣を纏《まと》ひ※[#「鹿/(鹿+鹿)」、第3水準1−94−76]《あら》い詞《ことば》を使ひ、面白くなく、鄙《いや》しく、行詰つた、凄《すさま》じい、これを絵画にして象徴的に現はせば餓鬼《がき》の草子の中の生物のやうな、或は小説雑話にして空想的に現はせば、酒呑童子《しゆてんどうじ》や鬼同丸《きどうまる》のやうなものもあつたのであらう。醍醐天皇の御代と云へば、古今集だの、延喜式だのの出来た時であるが、其御代の昌泰二年には、都で放火殺人が多くて、四衛府兵をして夜を警《いまし》めしめられ、其三年には上野《
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