そして其女の縁に連《つらな》る一族総体から、此の失恋漢、死んでしまへと攻立てられたといふのは、何と無く奇異な事態に思へる。又たとへ将門の方から手出しをしたにせよ、恋の叶はぬ忌※[#二の字点、1−2−22]しさから、其女の家をはじめ、其姉妹の夫たちの家まで、撫斬《なでぎ》りにしようといふのも何となく奇異に過ぎ酷毒に過ぎる。何にせよ決してたゞ一条《ひとすぢ》の事ではあるまい、可なり錯綜《さくそう》した事情が無ければならぬ。貞盛が将門を殺したがつた事も、恋の叶《かな》つた者の方が恋の叶はぬ者を生かして置いては寝覚が悪いために打殺すといふのでは、何様《どう》も情理が桂馬筋《けいますぢ》に働いて居るやうである。
 故蹟考ではかう考へてゐる。将門が迎へた妻は、源護の子の扶、隆、繁の中で、懸想《けさう》して之を得んとしたものであつた。然るに其の婦人は源家へ嫁すことをせずして相馬小次郎将門の妻となつた。そこで※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2−5−68]嫉《ばうしつ》の念禁じ難く、兄弟姉妹の縁に連なる良兼貞盛良正等の力を併《あは》せて将門を殺さうとし、一面国香良正等は之を好機とし、将門を滅して相馬の夥《おびただ》しい田産を押収せんとしたのである。と云つて居る。成程源家の子のために大勢が骨折つて貰ひ得て呉れようとした美人を貰ひ得損じて、面目を失はせられ、しかも日比《ひごろ》から彼が居らなくばと願つて居た将門に其の婦人を得られたとしては、要撃して恨《うらみ》を散じ利を得んとするといふことも出て来さうなことである。然しこれも確拠があつてでは無い想像らしい。たゞ其中の将門を滅せば田産押収の利のあるといふことは、拠《よ》るところの無い想像では無い。
 要するに委曲《ゐきよく》の事は徴知することが出来ない。耳目の及ぶところ之を知るに足らないから、安倍晴明なら識神を使つて委細を悟るのであるが、今何とも明解することは我等には不能だ。天慶年間、即ち将門死してから何程の間も無い頃に出来たといふ将門記の完本が有つたら訳も分かるのであらうが、今存するものは残闕《ざんけつ》であつて、生憎発端のところが無いのだから如何《いかん》とも致方は無い。然し試みに考へて見ると、将門が源家の女《むすめ》を得んとしたことから事が起つたのでは無いらしい、即ち将門始末の説は受取り兼ねるのであつて、むしろ将門の得た妻の事から私闘は起つたのらしい。何故《なぜ》といへば将門記の中の、将門が勝を得て良兼を囲んだところの条《くだり》の文に、「斯《かく》の如く将門思惟す、凡《およ》そ当夜の敵にあらずといへども(良兼は)脈を尋《たづ》ぬるに疎《うと》からず、氏を建つる骨肉なり、云はゆる夫婦は親しけれども而も瓦に等しく、親戚は疎くしても而も葦に喩《たと》ふ、若し終に(伯父を)殺害を致さば、物の譏《そし》り遠近《をちこち》に在らんか」とあつて、取籠めた伯父良兼を助けて逃れしめてやるところがある。その文気を考へると、妻の故の事を以て伯父を殺すに至るは愚なことであるといふのであるから、将門が妻となし得なかつた者から事が起つたのでは無くて、将門が妻となし得たものがあつてそれから伯父と弓箭《きゆうせん》をとつて相見《あいまみ》ゆるやうにもなつたのであるらしい。それから又同記に拠ると、将門を告訴したものは源護である。記に「然る間|前《さき》の大掾《だいじよう》源護の告状に依りて、件《くだん》の護並びに犯人平将門及び真樹《まき》等召進ずべきの由の官符、去る承平五年十二月二十九日符、同六年九月七日到来」とあるから、原告となつた者は護である。真樹は佗田《わびた》真樹で、国香の属僚中の錚※[#二の字点、1−2−22]《さうさう》たるものである。これに依つて考へれば、良正良兼は記の本文記事の通り、源家が敗戦したによつて婦の縁に引かれて戦を開いたのだが、最初はたゞ源護一家と将門との間に事は起つたのである。して見れば将門が妻としたものに関聯して源護及び其子等と将門とは闘ひはじめたのである。
 戯曲はこゝに何程でも書き出される。かつて同じ千葉県下に起つた事実で斯《か》ういふのがあつた。将門ほど強い男でも何でも無いが、可なりの田邑《でんいふ》を有してゐる片孤《へんこ》があつた。其の児の未《いま》だ成長せぬ間、親戚の或る者は其の田邑を自由にして居たが、其の児の成人したに至つて当然之を返附しなければならなくなつた。ところで其の親戚は自分の娘を其の男に娶《めと》らせて、自己は親として其の家に臨む可く計画した。娘は醜くも無く愚でもなかつたが、男は自己が拘束されるやうになることを厭ふ余りに其の娘を強く嫌つて、其の婚儀を勧めた一族達と烈しく衝突してしまつた。悲劇はそこから生じて男は放蕩者《はうたうもの》となり、家は乱脈となり、紛争は転輾《てん
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