無くなつたには相違無い。それは今昔物語に見えてゐる如くに、将門の父の良将の遺産を将門が成長しても国香等が返さなかつたことで、此の様な事情は古も今もやゝもすれば起り易いことで、曾我の殺傷も此から起つてゐる。今昔物語が信じ難い書であることは無論だが、此の事実は有勝の事で、大日本史も将門始末も皆採つてゐる。将門在京中に既に此事があつて、貞盛と将門とは心中互におもしろく無く思つてゐたところから、貞盛の言も出たとすれば合点が出来るのである。
 今一つは将門と源護一族との間の事である。これは其原因が不明ではあるが、因縁《いんねん》のもつれであるだけは明白である。護は常陸の前《さき》の大掾《だいじよう》で、そのまゝ常陸の東石田に居たのである。東石田は筑波《つくば》の西に当るところで、国香もこれに居たのである。護は世系が明らかでないが、其の子の扶《たすく》、隆、繁と共に皆一字名であるところを見ると、嵯峨《さが》源氏でゞもあるらしく思はれる。何にせよ護も名家であつて、護の女を将門の伯父上総介良兼は妻にしてゐる。国香も亦其一人を嫁にして貞盛の妻にしてゐる。常陸六郎良正もまた其一人を妻にしてゐる。此の良正は系図では良茂の子になつてゐるが、おそらくは誤りで、国香の同胞で一番|季《すゑ》なのであらう。
 将門と護とは別に相敵視するに至る訳は無い筈であるが、此の護の一族と将門と私闘を起したのが最初で、将門の伯叔父の多いにかゝはらず、護の家と縁組をしてゐる国香の家、良兼の家、良正の家が特《こと》に将門を悪《にく》んで之を攻撃してゐるところを見ると、何でも源護の家を中心とし、之に関聯して紛糾《ふんきう》した事情が有つての大火事と考へられる。将門始末では、将門が護の女《むすめ》を得て妻としようとしたが護が与へなかつたので、将門が怒つたのが原因だと云つて居る。して見れば将門は恋の叶《かな》はぬ焦燥《せうさう》から、車を横に推出したことになる。さすれば良正か貞盛か二人の中の一人が、将門の望んだ女を得て妻としてしまつた為に起つた事のやうに思はれるが、如何《いか》に将門が乱暴者でも、人の妻になつてしまつた者を何としようといふこともあるまい。又それが遺恨の本になるといふことも、成程野暮な人の間に有り得るにしても、皆が一致して手甚《てひど》く将門を包囲攻撃するに至るのは、何だか逆なやうである。思ふ女をば奪はれ、
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