武《まうぶ》総常《そうじやう》の水の上に度※[#二の字点、1−2−22]遊んだ篷底《はうてい》の夢の余りによしなしごとを書きつけはしたが、もとより人を酔はさう意《こゝろ》も無い、書かずともと思つてゐるほどだから、読まずともとも思つてゐる。たゞ宿酔《しゆくすゐ》猶《なほ》残つて眼の中がむづゝく人もあらば、羅山が詩にした大河の水ほど淡いものだから、却《かへ》つて胃熱を洗ふぐらゐのことはあらうか。飲むも飲まぬも読むも読まぬも、人※[#二の字点、1−2−22]の勝手で、刀根《とね》の川波いつもさらつく同様、紙に鉛筆のあたり傍題《はうだい》。
 六人箱を枕の夢に、そも我こそは桓武《くわんむ》天皇の後胤《こういん》に鎮守府将軍|良将《よしまさ》が子、相馬の小次郎|将門《まさかど》なれ、承平天慶のむかしの恨《うら》み、利根の川水日夜に流れて滔※[#二の字点、1−2−22]《たう/\》汨※[#二の字点、1−2−22]《ゐつ/\》千古|経《ふ》れども未だ一念の痕《あと》を洗はねば、※[#「にんべん+爾」、第3水準1−14−45]《なんぢ》に欝懐の委曲を語りて、修羅《しゆら》の苦因を晴るけんとぞ思ふ、と大《おほ》ドロ/\で現はれ出た訳でも何でも無いが、一体将門は気の毒な人である。大日本史には叛臣伝に出されて、日本はじまつて以来の不埒者《ふらちもの》に扱はれてゐるが、ほんとに悪《にく》むべき窺※[#「穴かんむり/兪」、第4水準2−83−17]《きゆ》の心をいだいたものであらうか。それとも勢《いきほひ》に駆られ情に激して、水は静かなれども風之を狂はせば巨浪怒つて騰《あが》つて天を拍《う》つに至つたのだらうか。先づそこから出立して考へて見ることを敢《あへ》てしないで、いきなり幸島《さじま》の偽闕《ぎけつ》、平親王呼はり、といふところから不届至極のしれ者とされゝば、一言も無いには定まつて居るが、事跡からのみ論じて心理を問は無いのは、乾燥派史家の安全な遣り方であるにせよ、情無いことであつて、今日の裁判には少し潤《うるほ》ひがあつて宜い訳だ。そこで自然と古来の史書雑籍を読んで、それに読まれてしまつた人で無い者の間には、不服を称《とな》ふる者も出て来て、現に明治年間には大審院、控訴院、宮内省等に対して申理を求めんとした人さへあつたほどである。然無《さな》くても古より今に至るまで、関東諸国の民、あすこ
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