く》み出《いだ》すより廃《すた》れて、当時は手早く女は男の公債証書を吾名《わがな》にして取り置《おき》、男は女の親を人質《ひとじち》にして僕使《めしつか》うよし。亭主《ていしゅ》持《もつ》なら理学士、文学士|潰《つぶし》が利く、女房|持《も》たば音楽師、画工《えかき》、産婆三割徳ぞ、ならば美人局《つつもたせ》、げうち、板の間|※[#「てへん+(上/下)、第3水準1−84−76]《かせ》ぎ等の業《わざ》出来て然《しか》も英仏の語に長じ、交際上手でエンゲージに詫付《かこつけ》華族の若様のゴールの指輪一日に五六位《いつつむつくらい》取る程の者望むような世界なれば、汝《なんじ》珠運《しゅうん》能々《よくよく》用心して人に欺《あざむ》かれぬ様《よう》すべしと師匠教訓されしを、何の悪口なと冷笑《あざわらい》しが、なる程、我《われ》正直に過《すぎ》て愚《おろか》なりし、お辰《たつ》を女菩薩《にょぼさつ》と思いしは第一の過《あやま》り、折疵《おれきず》を隠して刀には樋《ひ》を彫るものあり、根性が腐って虚言《うそ》美しく、田原が持《もっ》て来た手紙にも、御《おん》なつかしさ少時《しばし》も忘れず何《いず》れ近き中《うち》父様《ととさま》に申し上《あげ》やがて朝夕《ちょうせき》御前様《おまえさま》御傍《おそば》に居《お》らるゝよう神かけて祈り居《お》りなどと我を嬉《うれ》しがらせし事憎し憎しと、怨《うらみ》の眼尻《まなじり》鋭く、柱にもたれて身は力なく下《さげ》たる頭《かしら》少し上《あげ》ながら睨《にら》むに、浮世のいざこざ知らぬ顔の彫像|寛々《かんかん》として大空に月の澄《すめ》る如《ごと》く佇《たたず》む気高さ、見るから我胸の疑惑|耻《はずか》しく、ホッと息|吐《つ》き、アヽ誤《あやま》てり、是程の麗わしきお辰、何とてさもしき心もつべき、去《さり》し日|亀屋《かめや》の奥|坐敷《ざしき》に一生の大事と我も彼も浮《うき》たる言葉なく、互《たがい》に飾らず疑わず固めし約束、仮令《たとい》天《あま》飛ぶ雷が今|落《おち》ればとて二人が中は引裂《ひきさか》れじと契りし者を、よしや子爵の威権烈しく他《あだ》し聟《むこ》がね定むるとも、我の命は彼にまかせお辰が命は珠運|貰《もら》いたれば、何《ど》の命|何《ど》の身体《からだ》あって侯爵に添うべきや、然《しか》も其時、身を我に投懸《なげかけ》て、艶《つや》やかなる前髪|惜気《おしげ》もなく我膝《わがひざ》に押付《おしつけ》、動気《どうき》可愛《かわゆ》らしく泣き俯《ふ》しながら、拙《つたな》き妾《わたくし》めを思い込まれて其程《それほど》までになさけ厚き仰せ、冥加《みょうが》にあまりてありがたしとも嬉しとも此《この》喜び申すべき詞《ことば》知らぬ愚《おろか》の口惜し、忘れもせざる何日《いつ》ぞやの朝、見所もなき櫛《くし》に数々の花|彫付《ほりつけ》て賜《たま》わりし折より、柔《やさ》しき御心ゆかしく思い初《そめ》、御小刀《おこがたな》の跡|匂《にお》う梅桜、花弁《はなびら》一片《ひとひら》も欠《かか》せじと大事にして、昼は御恩賜《おんめぐみ》頭《かしら》に挿《さ》しかざせば我為《わがため》の玉の冠、かりそめの立居《たちい》にも意《き》を注《つけ》て落《おち》るを厭《いと》い、夜は針箱の底深く蔵《おさ》めて枕《まくら》近く置《おき》ながら幾度《いくたび》か又|開《あけ》て見て漸《ようや》く睡《ねむ》る事、何の為とは妾《わたくし》も知らず、殊更其日|叔父《おじ》の非道《ひどう》、勿体《もったい》なき悪口|計《ばか》り、是も妾《わたくし》め故《ゆえ》思わぬ不快を耳に入れ玉うと一一《いちいち》胸先《むなさき》に痛く、さし詰《つむ》る癪《しゃく》押《おさ》えて御顔|打守《うちまもり》しに、暢《のび》やかなる御気象、咎《とが》め立《だて》もし玉わざるのみか何の苦もなくさらりと埒《らち》あき、重々の御恩|荷《にの》うて余る甲斐《かい》なき身、せめて肩|揉《も》め脚|擦《さす》れとでも僕使《つかい》玉わばまだしも、却《かえっ》て口きゝ玉うにも物柔かく、御手水《おちょうず》の温湯《ぬるゆ》椽側《えんがわ》に持《もっ》て参り、楊枝《ようじ》の房少しむしりて塩|一小皿《ひとこざら》と共に塗盆《ぬりぼん》に載《の》せ出《いだ》す僅計《わずかばかり》の事をさえ、我|夙起《はやおき》の癖故に汝《そなた》までを夙起《はやおき》さして尚《なお》寒き朝風につれなく袖《そで》をなぶらする痛わしさと人を護《かば》う御言葉、真《しん》ぞ人間五十年君に任せて露|惜《おし》からず、真実《まこと》あり丈《たけ》智慧《ちえ》ありたけ尽《つく》して御恩を報ぜんとするに付《つけ》て慕わしさも一入《ひとしお》まさり、心という者一つ新《あらた》に添《そう》たる様《よう》に、今迄《いままで》は関《かま》わざりし形容《なりふり》、いつか繕う気になって、髪の結様《ゆいよう》どうしたら誉《ほめ》らりょうかと鏡に対《むか》って小声に問い、或夜《あるばん》の湯上《ゆあが》り、耻《はずか》しながらソッと薄化粧《うすげしょう》して怖怖《こわごわ》坐敷《ざしき》に出《いで》しが、笑《わらい》片頬《かたほ》に見られし御|眼元《めもと》何やら存《あ》るように覚えて、人知らずカッと上気せしも、単《ひとえ》に身嗜《みだしなみ》計《ばかり》にはあらず、勿体《もったい》なけれど内内《ないない》は可愛《かわゆ》がられても見たき願い、悟ってか吉兵衛様の貴下《あなた》との問答、婚礼せよせぬとの争い、不図《ふと》立聞《たちぎき》して魂魄《たましい》ゆら/\と足|定《さだま》らず、其儘《そのまま》其処《そこ》を逃出《にげいだ》し人なき柴部屋《しばべや》に夢の如《ごと》く入《いる》と等しく、せぐりくる涙、あなた程の方の女房とは我身《わがみ》の為《ため》を思われてながら吉兵衛様の無礼過《なめすぎ》た言葉恨めしく、水仕女《みずしめ》なりともして一生|御傍《おそば》に居られさいすれば願望《のぞみ》は足る者を余計な世話、我からでも言わせたるように聞取《ききと》られて疎《うと》まれなば取り返しのならぬ暁《あかつき》、辰は何になって何に終るべきと悲《かなし》み、珠運様も珠運様、余りにすげなき御言葉、小児《こども》の捉《とっ》た小雀《こすずめ》を放して遣《や》った位に辰を思わるゝか知らねどと泣きしが、貴下《あなた》はそれより黙言《だんまり》で亀屋を御立《おたち》なされしに、十日も苅《か》り溜《ため》し草を一日に焼《やい》たような心地して、尼にでもなるより外なき身の行末を歎《なげき》しに、馬籠《まごめ》に御病気と聞く途端、アッと驚く傍《かたわら》に愚《おろか》な心からは看病するを嬉《うれし》く、御介抱|申《もうし》たる甲斐《かい》ありて今日の御|床上《とこあげ》、芽出度《めでたい》は芽出度《めでたけ》れど又もや此儘《このまま》御立《おたち》かと先刻《さっき》も台所で思い屈して居たるに、吉兵衛様御内儀が、珠運様との縁|続《つ》ぎ度《たく》ば其人様の髪一筋知れぬように抜《ぬい》て、おまえの髪と確《しっか》り結び合《あわ》せ※[#「口+急」、224−9]※[#「口+急」、224−9]《きゅうきゅう》如律令《にょりつりょう》と唱《とな》えて谷川に流し捨《すて》るがよいとの事、憎や老嫗《としより》の癖に我を嬲《なぶ》らるゝとは知《しり》ながら、貴君《あなた》の御足《おんあし》を止度《とめた》さ故に良事《よいこと》教《おし》られしよう覚《おぼえ》て馬鹿気《ばかげ》たる呪《まじない》も、試《やっ》て見ようかとも惑う程小さき胸の苦《くるし》く、捨《すて》らるゝは此身の不束《ふつつか》故か、此心の浅き故かと独り悔《くや》しゅう悩んで居《お》りましたに、あり難き今の仰せ、神様も御照覧あれ、辰めが一生はあなたにと熱き涙|吾《わが》衣物《きもの》を透《とお》せしは、そもや、嘘《うそ》なるべきか、新聞こそ当《あて》にならぬ者なれ、其《それ》を真《まこと》にして信《まこと》ある女房を疑いしは、我ながらあさましとは思うものゝ形なき事を記すべしとも思えず、見れば業平侯爵とやら、位|貴《たっと》く、姿うるわしく、才いみじきよし、エヽ妬《ねた》ましや、我《われ》位なく、姿美しからず、才もまた鈍ければ、較《くらべ》られては敵手《あいて》にあらず。扨《さて》こそ子爵が詞通《ことばどお》り、思想も発達せぬ生《なま》若い者の感情、都風の軽薄に流れて変りしに相違なきかと頻《しきり》に迷い沈みけるが思いかねてや一声|烈《はげ》しく、今ぞ知《しっ》たり移ろい易《やす》き女心、我を侯爵に見替《みかえ》て、汝《おのれ》一人の栄華を誇《ほこ》る、情《なさけ》なき仰せ、此《この》辰が。
 アッと驚き振仰向《ふりあおむけ》ば、折柄《おりから》日は傾きかゝって夕栄《ゆうばえ》の空のみ外に明るく屋《や》の内|静《しずか》に、淋し気に立つ彫像|計《ばか》り。さりとては忌々《いまいま》し、一心乱れてあれかこれかの二途《ふたみち》に別れ、お辰が声を耳に聞《きき》しか、吉兵衛の意見ひし/\と中《あた》りて残念や、妄想《もうぞう》の影法師に馬鹿にされ、有《あり》もせぬ声まで聞し愚《おろか》さ、箇程《かほど》までに迷わせたるお辰め、汝《おのれ》も浮世の潮に漂う浮萍《うきくさ》のような定《さだめ》なき女と知らで天上の菩薩《ぼさつ》と誤り、勿体《もったい》なき光輪《ごこう》まで付《つけ》たる事口惜し、何処《いずこ》の業平《なりひら》なり癩病《なりんぼ》なり、勝手に縁組、勝手に楽《たのし》め。あまりの御言葉、定めなきとはあなたの御心。あら不思議、慥《たしか》に其《その》声、是もまだ醒《さめ》ぬ無明《むみょう》の夢かと眼《め》を擦《こす》って見れば、しょんぼりとせし像、耳を澄《すま》せば予《かね》て知る樅《もみ》の木の蔭《かげ》あたりに子供の集りて鞠《まり》つくか、風の持来《もてく》る数え唄《うた》、
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一寸《ちょと》百|突《つい》て渡《わた》いた受取《うけと》った/\一つでは乳首|啣《くわ》えて二つでは乳首|離《はな》いて三つでは親の寝間を離れて四つにはより糸《こ》より初《そ》め五《いつつ》では糸をとりそめ六つでころ機織《はたおり》そめて――
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と苦労知らぬ高調子、無心の口々|長閑《のどか》に、拍子取り連《つれ》て、歌は人の作ながら声は天の籟《おと》美しく、慾《よく》は百ついて帰そうより他なく、恨《うらみ》はつき損ねた時罪も報《むくい》も共に忘れて、恋と無常はまだ無き世界の、楽しさ羨《うらやま》しく、噫《ああ》無心こそ尊《たっと》けれ、昔は我も何しら糸の清きばかりの一筋なりしに、果敢《はか》なくも嬉しいと云う事身に染初《しみそめ》しより、やがて辛苦の結ぼれ解《とけ》ぬ濡苧《ぬれお》の縺《もつれ》の物思い、其色《そのいろ》嫌よと、眼《め》を瞑《ふさ》げば生憎《あいにく》にお辰の面影あり/\と、涙さしぐみて、分疏《いいわけ》したき風情、何処《どこ》に憎い所なし。なる程定めなきとはあなたの御心、新聞一枚に堅き約束を反故《ほご》となして怒り玉うかと喞《かこ》たれて見れば無理ならねど、子爵の許《もと》に行《ゆき》てより手紙は僅《わずか》に田原が一度|持《もっ》て来《きた》りし計《ばか》り、此方《こなた》から遣《や》りし度々の消息、初《はじめ》は親子再会の祝《いわい》、中頃は振残《ふりのこ》されし喞言《かこちごと》、人には聞《きか》せ難《がた》きほど耻《はずか》しい文段《もんだん》までも、筆とれば其人の耳に付《つけ》て話しする様《よう》な心地して我しらず愚《おろか》にも、独居《ひとりい》の恨《うらみ》を数うる夜半《よわ》の鐘はつらからで、朧気《おぼろげ》ながら逢瀬《おうせ》うれしき通路《かよいじ》を堰《せ》く鶏《とり》めを夢の名残の本意《ほい》なさに憎らしゅう存じ候《そろ》など書《かい》てまだ足らず、再書《かえすがき》濃々《こまごま》と、色好み
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