深き都の若佼《わこうど》を幾人《いくたり》か迷わせ玉うらん御標致《ごきりょう》の美しさ、却《かえ》って心配の種子《たね》にて我をも其等《それら》の浮《うき》たる人々と同じ様《よう》に思《おぼ》し出《いず》らんかと案《あん》じ候《そうろう》ては実《げ》に/\頼み薄く口惜《くちおし》ゅう覚えて、あわれ歳月《としつき》の早く立《たて》かし、御《おん》おもかげの変りたる時にこそ浅墓《あさはか》ならぬ我《わが》恋のかわらぬ者なるを顕《あらわ》したけれと、無理なる願《ねがい》をも神前に歎《なげ》き聞《きこ》え候《そろ》と、愚痴の数々まで記して丈夫そうな状袋を択《えら》み、封じ目油断なく、幾度か打《うち》かえし/\見て、印紙正しく張り付《つけ》、漸く差し出《いだ》したるに受取《うけとっ》たと計《ばかり》の返辞もよこさず、今日は明日はと待つ郵便の空頼《そらだのめ》なる不実の仕方、それは他《あだ》し婿がね取らせんとて父上の皆|為《な》されし事。又しても妄想《もうぞう》が我を裏切《うらぎり》して迷わする声憎しと、頭《かしら》を上《あぐ》れば風流仏悟り済《すま》した顔、外には
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清水《きよみず》の三本柳の一羽の雀《すずめ》が鷹《たか》に取られたチチャポン/\一寸《ちょっと》百ついて渡いた渡いた
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の他音もなし、愈々《いよいよ》影法師の仕業に定まったるか、エヽ腹立《はらだた》し、我|最早《もはや》すっきりと思い断ちて煩悩《ぼんのう》愛執《あいしゅう》一切|棄《すつ》べしと、胸には決定《けつじょう》しながら、尚《なお》一分《いちぶん》の未練残りて可愛《かわゆ》ければこそ睨《にら》みつむる彫像、此時《このとき》雲収り、日は没《い》りて東窓の部屋の中《うち》やゝ暗く、都《すべ》ての物薄墨色になって、暮残りたるお辰白き肌|浮出《うきいず》る如く、活々《いきいき》とした姿、朧《おぼろ》月夜に真《まこと》の人を見る様《よう》に、呼ばゞ答もなすべきありさま、我《わが》作りたる者なれど飽《あく》まで溺《おぼ》れ切《きっ》たる珠運ゾッと総身の毛も立《たち》て呼吸《いき》をも忘れ居たりしが、猛然として思い飜《かえ》せば、凝《こっ》たる瞳《ひとみ》キラリと動く機会《はずみ》に面色|忽《たちま》ち変り、エイ這顔《しゃっつら》の美しさに迷う物かは、針ほども心に面白き所あらば命さえ呉《くれ》てやる珠運も、何の操なきおのれに未練残すべき、其《その》生白《なましら》けたる素首《そっくび》見《みる》も穢《けがら》わしと身動きあらく後向《うしろむき》になれば、よゝと泣声して、それまでに疑われ疎《うと》まれたる身の生甲斐《いきがい》なし、とてもの事|方様《かたさま》の手に惜《おし》からぬ命|捨《すて》たしと云《いう》は、正しく木像なり、あゝら怪しや、扨《さて》は一念の恋を凝《こら》して、作り出《いだ》せしお辰の像に、我魂の入《いり》たるか、よしや我身の妄執《もうしゅう》の憑《の》り移りたる者にもせよ、今は恩愛|切《きっ》て捨《すて》、迷わぬ初《はじめ》に立帰《たちかえ》る珠運に妨《さまたげ》なす妖怪《ようかい》、いでいで仏師が腕の冴《さえ》、恋も未練も段々《きだきだ》に切捨《きりすて》くれんと突立《つったち》て、右の手高く振上《ふりあげ》し鉈《なた》には鉄をも砕くべきが気高く仁《やさ》しき情《なさけ》溢《あふ》るる計《ばかり》に湛《たた》ゆる姿、さても水々として柔かそうな裸身《はだかみ》、斬《き》らば熱血も迸《ほとばし》りなんを、どうまあ邪見に鬼々《おにおに》しく刃《やいば》の酷《むご》くあてらるべき、恨《うらみ》も憎《にくみ》も火上の氷、思わず珠運は鉈《なた》取落《とりおと》して、恋の叶わず思《おもい》の切れぬを流石《さすが》男の男泣き、一声|呑《のん》で身をもがき、其儘《そのまま》ドウと臥《ふ》す途端、ガタリと何かの倒るゝ音して天より出《いで》しか地より湧《わき》しか、玉の腕《かいな》は温く我|頸筋《くびすじ》にからまりて、雲の鬢《びん》の毛|匂《にお》やかに頬《ほほ》を摩《なで》るをハット驚き、急《せわ》しく見れば、有《あり》し昔に其儘《そのまま》の。お辰かと珠運も抱《だき》しめて額《ひたい》に唇。彫像が動いたのやら、女が来たのやら、問《とわ》ば拙《つたな》く語らば遅し。玄《げん》の又《また》玄《げん》摩訶不思議《まかふしぎ》。
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団円 諸法実相
帰依仏《きえぶつ》の御利益《ごりやく》眼前にあり
恋に必ず、必ず、感応《かんのう》ありて、一念の誠|御心《みこころ》に協《かな》い、珠運《しゅうん》は自《おの》が帰依仏《きえぶつ》の来迎《らいごう》に辱《かたじけ》なくも拯《すく》いとられて、お辰《たつ》と共に手を携え肩を駢《なら》べ優々と雲の上に行《ゆき》し後《あと》には白薔薇《ホワイトローズ》香《におい》薫《くん》じて吉兵衛《きちべえ》を初め一村の老幼|芽出度《めでたし》とさゞめく声は天鼓を撃つ如《ごと》く、七蔵《しちぞう》がゆがみたる耳を貫けば是《これ》も我慢の角《つの》を落《おと》して黒山《こくざん》の鬼窟《きくつ》を出《いで》、発心《ほっしん》勇ましく田原と共に左右の御前立《おんまえだち》となりぬ。
其後《そののち》光輪《ごこう》美《うるわ》しく白雲に駕《のっ》て所々《しょしょ》に見ゆる者あり。或《ある》紳士の拝まれたるは天鷲絨《ビロウド》の洋服|裳《すそ》長く着玉いて駄鳥《だちょう》の羽宝冠に鮮《あざやか》なりしに、某《なにがし》貴族の見られしは白|襟《えり》を召《めし》て錦の御帯《おんおび》金色《こんじき》赫奕《かくえく》たりしとかや。夫《それ》に引変え破《やぶれ》褞袍《おんぼう》着て藁草履《わらぞうり》はき腰に利鎌《とがま》さしたるを農夫は拝み、阿波縮《あわちぢみ》の浴衣《ゆかた》、綿八反《めんはったん》の帯、洋銀の簪《かんざし》位《ぐらい》の御姿を見しは小商人《こあきんど》にて、風寒き北海道にては、鰊《にしん》の鱗《うろこ》怪しく光るどんざ布子《ぬのこ》、浪《なみ》さやぐ佐渡《さど》には、色も定かならぬさき織を着て漁師共の眼《め》にあらわれ玉いけるが業平侯爵《なりひらこうしゃく》も程《ほど》経て踵《かかと》小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに値偶《ちぐう》せられけるよし。是《これ》皆|一切経《いっさいきょう》にもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の化身《けしん》にして少しも相違なければ、拝みし者|誰《たれ》も彼も一代の守本尊《まもりほんぞん》となし、信仰|篤《あつ》き時は子孫|繁昌《はんじょう》家内|和睦《わぼく》、御利益《ごりやく》疑《うたがい》なく仮令《たとい》少々御本尊様を恨めしき様《よう》に思う事ありとも珠運の如くそれを火上の氷となす者には素《もと》より持前《もちまえ》の仏性《ほとけしょう》を出《いだ》し玉いて愛護の御誓願《ごせいがん》空《むな》しからず、若《もし》又《また》過《あやま》ってマホメット宗《しゅう》モルモン宗《しゅう》なぞの木偶《もくぐう》土像などに近づく時は現当二世《げんとうにせ》の御罰《おんばち》あらたかにして光輪《ごこう》を火輪《かりん》となし一家《いっけ》をも魂魂《こんぱく》をも焼滅《やきほろぼ》し玉うとかや。あなかしこ穴《あな》賢《かしこ》。
底本:「日本の文学3 五重塔・運命」ほるぷ出版
1985(昭和60)年2月1日初版第1刷発行
底本の親本:「風流仏」吉岡書籍店
1889(明治22)年9月発行
入力:kompass
校正:今井忠夫
2003年12月8日作成
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