か》べるお辰《たつ》の像、元より誰《たれ》に頼まれしにもあらねば細工料取らんとにもあらず、唯《ただ》恋しさに余りての業、一刀《いっとう》削《けずり》ては暫《しばら》く茫然《ぼうぜん》と眼《め》を瞑《ふさ》げば花漬《はなづけ》めせと矯音《きょうおん》を洩《もら》す口元の愛らしき工合《ぐあい》、オヽそれ/\と影を促《とら》えて再《また》一《ひ》ト刀《かたな》、一ト鑿《のみ》突いては跡ずさりして眺《なが》めながら、幾日の恩愛|扶《たす》けられたり扶けたり、熱に汗蒸れ垢《あか》臭き身体《からだ》を嫌《いや》な様子なく柔《やさ》しき手して介抱し呉《くれ》たる嬉しさ今は風前の雲と消えて、思《おもい》は徒《いたずら》に都の空に馳《は》する事悲しく、なまじ最初お辰の難を助けて此家《このいえ》を出し其折《そのおり》、留《とど》められたる袖《そで》思い切《きっ》て振払いしならばかくまでの切なる苦《くるしみ》とはなるまじき者をと、恋しを恨む恋の愚痴、吾《われ》から吾を弁《わきま》え難く、恍惚《うっとり》とする所へ著《あらわ》るゝお辰の姿、眉付《まゆつき》媚《なまめ》かしく生々《いきいき》として睛《ひとみ》、何の情《じょう》を含みてか吾《わが》与《あた》えし櫛《くし》にジッと見とれ居る美しさ、アヽ此処《ここ》なりと幻像《まぼろし》を写して再《また》一鑿《ひとのみ》、漸《ようや》く二十日を越えて最初の意匠誤らず、花漬売の時の襤褸《つづれ》をも著《き》せねば子爵令嬢の錦をも着せず、梅桃桜菊色々の花綴衣《はなつづりぎぬ》麗しく引纏《ひきまとわ》せたる全身像|惚《ほれ》た眼からは観音の化身《けしん》かとも見れば誰《たれ》に遠慮なく後光輪《ごこう》まで付《つけ》て、天女の如《ごと》く見事に出来上り、吾《われ》ながら満足して眷々《ほれぼれ》とながめ暮《くら》せしが、其夜の夢に逢瀬《おうせ》平常《いつも》より嬉しく、胸あり丈《た》ケの口説《くぜつ》濃《こまやか》に、恋|知《しら》ざりし珠運を煩悩《ぼんのう》の深水《ふかみ》へ導きし笑窪《えくぼ》憎しと云えば、可愛《かわゆ》がられて喜ぶは浅し、方様《かたさま》に口惜しい程憎まれてこそ誓文《せいもん》移り気ならぬ真実を命|打込《うちこ》んで御見せ申《もうし》たけれ。扨《さて》は迷惑、一生|可愛《かわゆ》がって居様《いよう》と思う男に。アレ嘘《うそ》、後先|揃《そろ》わぬ御言葉、どうでも殿御は口上手と、締りなく睨《にら》んで打《ぶ》つ真似にちょいとあぐる、繊麗《きゃしゃ》な手首|緊《しっか》りと捉《とらえ》て柔《やわらか》に握りながら。打《ぶた》るゝ程憎まれてこそ誓文《せいもん》命|掛《かけ》て移り気ならぬ真実をと早速の鸚鵡《おうむ》返し、流石《さすが》は可笑《おか》しくお辰笑いかけて、身を縮め声低く、此《この》手を。離さぬが悪いか。ハイ。これは/\く大きに失礼と其儘《そのまま》離してひぞる真面目《まじめ》顔を、心配相に横から覗《のぞ》き込めば見られてすまし難《がた》く其眼を邪見に蓋《ふた》せんとする平手、それを握りて、離さぬが悪いかと男詞《おとこことば》、後《あと》は協音《きょうおん》の笑《わらい》計《ばか》り残る睦《むつま》じき中に、娘々《むすめむすめ》と子爵の※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]声《さびごえ》。目《め》覚《さむ》れば昨宵《ゆうべ》明放《あけはな》した窓を掠《かす》めて飛ぶ烏《からす》、憎や彼奴《あれめ》が鳴いたのかと腹立《はらだた》しさに振向く途端、彫像のお辰夢中の人には遙《はるか》劣りて身を掩《おお》う数々の花うるさく、何処《どこ》の唐草《からくさ》の精霊《ばけもの》かと嫌《いや》になったる心には悪口も浮《うか》み来《きた》るに、今は何を着すべしとも思い出《いだ》せず工夫錬り練り刀を礪《と》ぎぬ。
下 堅く妄想《もうそう》を捏《でつ》して自覚|妙諦《みょうたい》
腕を隠せし花一輪削り二輪削り、自己《おの》が意匠の飾《かざり》を捨て人の天真の美を露《あら》わさんと勤めたる甲斐《かい》ありて、なまじ着せたる花衣|脱《ぬが》するだけ面白し。終《つい》に肩のあたり頸筋《くびすじ》のあたり、梅も桜も此《この》君の肉付《にくづき》の美しきを蔽《おお》いて誇るべき程の美しさあるべきやと截《た》ち落《おと》し切り落し、むっちりとして愛らしき乳首、是《これ》を隠す菊の花、香も無き癖《くせ》に小癪《こしゃく》なりきと刀|急《せわ》しく是も取って払い、可笑《おかし》や珠運《しゅうん》自ら為《し》たる業《わざ》をお辰《たつ》の仇《あだ》が為《し》たる事の様《よう》に憎み今刻み出《いだ》す裸体《はだかみ》も想像の一塊《いっかい》なるを実在《まこと》の様に思えば、愈々《いよいよ》昨日は愚《おろか》なり
前へ
次へ
全27ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング