ゅう》、鳥部野《とりべの》一片の烟《けむり》となって御法《みのり》の風に舞い扇、極楽に歌舞の女菩薩《にょぼさつ》一員《いちにん》増したる事疑いなしと様子知りたる和尚様《おしょうさま》随喜の涙を落《おと》されし。お吉|其儘《そのまま》あるべきにあらねば雇い婆《ばば》には銭《かね》やって暇《ひま》取らせ、色々|片付《かたづく》るとて持仏棚《じぶつだな》の奥に一つの包物《つつみもの》あるを、不思議と開き見れば様々の貨幣《かね》合せて百円足らず、是はと驚きて能々《よくよく》見るに、我身《わがみ》万一の時お辰《たつ》引き取って玉《たま》わる方へせめてもの心許《こころばか》りに細き暮らしの中《うち》より一銭二銭積み置きて是をまいらするなりと包み紙に筆の跡、読みさして身の毛立つ程悲しく、是までに思い込まれし子を育てずに置《おか》れべきかと、遂《つい》に五歳《いつつ》のお辰をつれて夫と共に須原《すはら》に戻《もど》りけるが、因果は壺皿《つぼざら》の縁《ふち》のまわり、七蔵本性をあらわして不足なき身に長半をあらそえば段々悪徒の食物《くいもの》となりて痩《や》せる身代の行末《ゆくすえ》を気遣《きづか》い、女房うるさく異見《いけん》すれば、何の女の知らぬ事、ぴんからきりまで心得て穴熊《あなぐま》毛綱《けづな》の手品《てづま》にかゝる我ならねば負くる計《ばか》りの者にはあらずと駈出《かけだし》して三日帰らず、四日帰らず、或《あるい》は松本善光寺又は飯田《いいだ》高遠《たかとお》あたりの賭場《とば》あるき、負《まく》れば尚《なお》も盗賊《どろぼう》に追い銭の愚を尽し、勝てば飯盛《めしもり》に祝い酒のあぶく銭《ぜに》を費す、此癖《このくせ》止めて止まらぬ春駒《はるごま》の足掻《あがき》早く、坂道を飛び下《おり》るより迅《すみやか》に、親譲りの山も林もなくなりかゝってお吉心配に病死せしより、齢《とし》は僅《わずか》に十《とお》の冬、お辰浮世の悲《かなし》みを知りそめ叔父《おじ》の帰宅《かえ》らぬを困り途方《とほう》に暮れ居たるに、近所の人々、彼奴《きゃつ》め長久保《ながくぼ》のあやしき女の許《もと》に居続《いつづけ》して妻の最期《さいご》を余所《よそ》に見る事憎しとてお辰をあわれみ助け葬式《ともらい》済《すま》したるが、七蔵|此後《こののち》愈《いよいよ》身持《みもち》放埒《ほうらつ》となり、村内の心ある者には爪《つま》はじきせらるゝをもかまわず遂《つい》に須原の長者の家敷《やしき》も、空《むな》しく庭|中《うち》の石燈籠《いしどうろう》に美しき苔《こけ》を添えて人手に渡し、長屋門のうしろに大木の樅《もみ》の梢《こずえ》吹く風の音ばかり、今の耳にも替《かわ》らずして、直《すぐ》其傍《そのそば》なる荒屋《あばらや》に住《すま》いぬるが、さても下駄《げた》の歯《は》と人の気風は一度ゆがみて一代なおらぬもの、何一《ひ》トつ満足なる者なき中にも盃《さかずき》のみ欠かけず、柴木《しばき》へし折って箸《はし》にしながら象牙《ぞうげ》の骰子《さい》に誇るこそ愚《おろか》なれ。かゝる叔父を持つ身の当惑、御嶽《おんたけ》の雪の肌《はだ》清らかに、石楠《しゃくなげ》の花の顔|気高《けだか》く生れ付《つい》てもお辰を嫁にせんという者、七蔵と云う名を聞《きい》ては山抜け雪流《なだれ》より恐ろしくおぞ毛ふるって思い止《とま》れば、二十《はたち》を越《こ》して痛ましや生娘《きむすめ》、昼は賃仕事に肩の張るを休むる間なく、夜は宿中《しゅくじゅう》の旅籠屋《はたごや》廻《まわ》りて、元は穢多《えた》かも知れぬ客達《きゃくだち》にまで嬲《なぶ》られながらの花漬売《はなづけうり》、帰途《かえり》は一日の苦労の塊《かたま》り銅貨|幾箇《いくつ》を酒に易《か》えて、御淋《おさび》しゅう御座りましたろう、御不自由で御座りましたろうと機嫌《きげん》取りどり笑顔《えがお》してまめやかに仕うるにさえ時々は無理難題、先度《せんど》も上田《うえだ》の娼妓《じょうろ》になれと云い掛《かかり》しよし。さりとては胴慾《どうよく》な男め、生餌《いきえ》食う鷹《たか》さえ暖《ぬく》め鳥は許す者を。
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    第四 如是因《にょぜいん》

      上 忘られぬのが根本《こんぽん》の情《じょう》

 珠運《しゅうん》は種々《さまざま》の人のありさま何と悟るべき者とも知らず、世のあわれ今宵《こよい》覚えて屋《や》の角に鳴る山風寒さ一段身に染《し》み、胸痛きまでの悲しさ我事《わがこと》のように鼻詰らせながら亭主に礼|云《い》いておのが部屋《へや》に戻《もど》れば、忽《たちまち》気が注《つく》は床の間に二タ箱買ったる花漬《はなづけ》、衣《きぬ》脱ぎかえて転《ころ》りと横になり、夜着《よぎ》引きかぶればあり/
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