いずく》も豆腐|湯波《ゆば》干鮭《からざけ》計《ばか》りなるが今宵《こよい》はあなたが態々《わざわざ》茶の間に御出掛《おでかけ》にて開化の若い方には珍らしく此《この》兀爺《はげじい》の話を冒頭《あたま》から潰《つぶ》さずに御聞《おきき》なさるが快ければ、夜長の折柄《おりから》お辰《たつ》の物語を御馳走に饒舌《しゃべり》りましょう、残念なは去年ならばもう少し面白くあわれに申し上《あげ》て軽薄《けいはく》な京の人イヤ是《これ》は失礼、やさしい京の御方《おかた》の涙を木曾《きそ》に落さ落《おと》させよう者を惜しい事には前歯一本欠けた所《とこ》から風が洩《も》れて此春以来|御文章《おふみさま》を読《よむ》も下手になったと、菩提所《ぼだいしょ》の和尚《おしょう》様に云《い》われた程なれば、ウガチとかコガシとか申す者は空抜《うろぬき》にしてと断りながら、青内寺《せいないじ》煙草《たばこ》二三服|馬士《まご》張《ば》りの煙管《きせる》にてスパリ/\と長閑《のどか》に吸い無遠慮に榾《ほだ》さし焼《く》べて舞い立つ灰の雪袴《ゆきんばかま》に落ち来《きた》るをぽんと擲《はた》きつ、どうも私幼少から読本《よみほん》を好きました故《ゆえ》か、斯《こう》いう話を致しますると図に乗っておかしな調子になるそうで、人我《にんが》の差別《しゃべつ》も分り憎くなると孫共《まごども》に毎度笑われまするが御聞《おきき》づらくも癖ならば癖ぞと御免《おゆるし》なされ。さてもそののち室香《むろか》はお辰を可愛《かわゆ》しと思うより、情《じょう》には鋭き女の勇気をふり起して昔取ったる三味《しゃみ》の撥《ばち》、再び握っても色里の往来して白痴《こけ》の大尽、生《なま》な通人《つうじん》めらが間《あい》の周旋《とりもち》、浮《うか》れ車座のまわりをよくする油さし商売は嫌《いや》なりと、此度《このたび》は象牙《ぞうげ》を柊《ひいらぎ》に易《か》えて児供《こども》を相手の音曲《おんぎょく》指南《しなん》、芸は素《もと》より鍛錬を積《つみ》たり、品行《みもち》は淫《みだら》ならず、且《かつ》は我子《わがこ》を育てんという気の張《はり》あればおのずから弟子にも親切あつく良い御師匠《おししょう》様と世に用いられて爰《ここ》に生計《くらし》の糸道も明き細いながら炊煙《けむり》絶《たえ》せず安らかに日は送れど、稽古《けいこ》する小娘が調子外れの金切声《かなきりごえ》今も昔わーワッとお辰のなき立つ事の屡《しばしば》なるに胸苦しく、苦労ある身の乳も不足なれば思い切って近き所へ里子にやり必死となりて稼《かせ》ぐありさま余所《よそ》の眼《め》さえ是《これ》を見て感心なと泣きぬ。それにつれなきは方様《かたさま》の其後《そののち》何の便《たより》もなく、手紙出そうにも当所《あてどころ》分らず、まさかに親子|笈《おい》づるかけて順礼にも出られねば逢《あ》う事は夢に計《ばか》り、覚めて考うれば口をきかれなかったはもしや流丸《それだま》にでも中《あた》られて亡くなられたか、茶絶《ちゃだち》塩絶《しおだち》きっとして祈るを御存知ない筈《はず》も無かろうに、神様も恋しらずならあり難くなしと愚痴と一所《いっしょ》にこぼるゝ涙流れて止《とどま》らぬ月日をいつも/\憂いに明《あか》し恨《うらみ》に暮らして我《わが》齢《とし》の寄るは知ねども、早い者お辰はちょろ/\歩行《あるき》、折ふしは里親と共に来てまわらぬ舌に菓子ねだる口元、いとしや方様に生き写しと抱き寄せて放し難く、遂《つい》に三歳《みっつ》の秋より引き取って膝下《ひざもと》に育《そだつ》れば、少しは紛《まぎ》れて貧家に温《ぬく》き太陽《ひ》のあたる如《ごと》く淋《さび》しき中にも貴き笑《わらい》の唇に動きしが、さりとては此子《このこ》の愛らしきを見様《みよう》とも仕玉《したま》わざるか帰家《かえら》れざるつれなさ、子供心にも親は恋しければこそ、父様《ととさま》御帰りになった時は斯《こう》して為《す》る者ぞと教えし御辞誼《おじぎ》の仕様《しよう》能《よ》く覚えて、起居《たちい》動作《ふるまい》のしとやかさ、能《よ》く仕付《しつけ》たと誉《ほめ》らるゝ日を待《まち》て居るに、何処《どこ》の竜宮《りゅうぐう》へ行かれて乙姫《おとひめ》の傍《そば》にでも居《お》らるゝ事ぞと、少しは邪推の悋気《りんき》萌《きざ》すも我を忘れられしより子を忘れられし所には起る事、正しき女にも切なき情《じょう》なるに、天道怪しくも是《これ》を恵まず。運は賽《さい》の眼の出所《でどころ》分らぬ者にてお辰の叔父《おじ》ぶんなげの七《しち》と諢名《あだな》取りし蕩楽者《どうらくもの》、男は好《よ》けれど根性図太く誰《たれ》にも彼にも疎《うと》まれて大の字に寝たとて一坪には足らぬ小さき身を、広き都に
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