おるか、生れた子は女か、男か、知らぬ顔に、知られぬ顔、早く頬摺《ほおずり》して膝《ひざ》の上に乗せ取り、護謨《ゴム》人形空気鉄砲珍らしき手玩具《おもちゃ》数々の家苞《いえづと》に遣《や》って、喜ぶ様子見たき者と足をつま立《だ》て三階四階の高楼《たかどの》より日本の方角|徒《いたず》らに眺《ながめ》しも度々なりしが、岩沼卿《いわぬまきょう》と呼《よば》せらるる尊《たっと》き御身分の御方《おんかた》、是も御用にて欧州に御滞在中、数ならぬ我を見たて御子《おんこ》なき家の跡目に坐《すわ》れとのあり難き仰せ、再三|辞《いな》みたれど許されねば辞《いなみ》兼《かね》て承知し、共々|嬉《うれ》しく帰朝して我は軽《かろ》からぬ役を拝命する計《ばかり》か、終《つい》に姓を冒して人に尊まるゝに付《つい》てもそなたが母の室香が情《なさけ》何忘るべき、家来に吩附《いいつけ》て段々|糺《ただ》せば、果敢《はか》なや我と楽《たのしみ》は分《わ》けで、彼岸《かのきし》の人と聞くつらさ、何年の苦労一トつは国の為《ため》なれど、一トつは色紙《しきし》のあたった小袖《こそで》着て、塗《ぬり》の剥《はげ》た大小さした見所もなき我を思い込んで女の捨難《すてがた》き外見《みえ》を捨て、譏《そしり》を関《かま》わず危《あやう》きを厭《いと》わず、世を忍ぶ身を隠匿《かくまい》呉《く》れたる志、七生忘れられず、官軍に馳《はせ》参《さん》ぜんと、決心した我すら曇り声に云《い》い出《いだ》せし時も、愛情の涙は瞼《まぶた》に溢《あふ》れながら義理の詞《ことば》正しく、予《かね》ての御本望|妾《わたくし》めまで嬉《うれしゅ》う存じますと、無理な笑顔《えがお》も道理なれ明日知らぬ命の男、それを尚《なお》も大事にして余りに御髪《おぐし》のと髯《ひげ》月代《さかやき》人手にさせず、後《うしろ》に廻《まわ》りて元結《もとゆい》も〆力《しめちから》なき悲しさを奥歯に噛《か》んできり/\と見苦しからず結うて呉れたる計《ばかり》か、おのが頭《かしら》にさしたる金簪《きんかんざし》まで引抜き温《ぬく》みを添えて売ってのみ、我身のまわり調度にして玉《たま》わりし大事の/\女房に満足させて、昔の憂《う》きを楽《たのしみ》に語りたさの為《ため》なりしに、情無《なさけなく》も死なれては、花園《はなぞの》に牡丹《ぼたん》広々と麗《うるわ》しき眺望
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