りとて夢さら御厚意|蔑《ないがしろ》にするにはあらず、やさしき御言葉は骨に鏤《きざ》んで七生忘れませぬ、女子《おなご》の世に生れし甲斐《かい》今日知りて此《この》嬉しさ果敢《はか》なや終り初物《はつもの》、あなたは旅の御客、逢《あう》も別れも旭日《あさひ》があの木梢《こずえ》離れぬ内、せめては御荷物なりとかつぎて三戸野《みどの》馬籠《まごめ》あたりまで御肩を休ませ申したけれどそれも叶《かな》わず、斯《こう》云う中《うち》にも叔父様帰られては面倒《めんどう》、どの様な事申さるゝか知れませぬ程にすげなく申すも御身《おんみ》の為《ため》、御迷惑かけては済《すみ》ませぬ故どうか御帰りなされて下さりませ、エヽ千日も万日も止めたき願望《ねがい》ありながら、と跡《あと》の一句は口に洩《も》れず、薄紅《うすくれない》となって顔に露《あらわ》るゝ可愛《かわゆ》さ、珠運の身《み》になってどうふりすてらるべき。仮令《たとい》叔父様が何と云わりょうが下世話にも云う乗りかゝった船、此儘《このまま》左様ならと指を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《くわ》えて退《の》くはなんぼ上方産《かみがたうまれ》の胆玉《きもだま》なしでも仕憎《しにく》い事、殊更|最前《さいぜん》も云うた通りぞっこん善女《ぜんにょ》と感じて居る御前《おまえ》の憂目《うきめ》を余所《よそ》にするは一寸の虫にも五分の意地が承知せぬ、御前の云わぬ訳も先後《あとさき》を考えて大方は分って居るから兎《と》も角《かく》も私の云事《いうこと》に付《つい》たがよい、悪気でするではなし、私の詞《ことば》を立《たて》て呉《く》れても女のすたるでもあるまい、斯《こう》しましょ、是《これ》からあの正直|律義《りちぎ》は口つきにも聞ゆる亀屋《かめや》の亭主に御前を預けて、金も少しは入るだろうがそれも私がどうなりとして埒《らち》を明《あけ》ましょう、親類でも無い他人づらが要《い》らぬ差出《さしで》た才覚と思わるゝか知らぬが、妹《いもと》という者|持《もっ》ても見たらば斯《こう》も可愛い者であろうかと迷う程いとしゅうてならぬ御前が、眼《め》に見えた艱難《かんなん》の淵《ふち》に沈むを見ては居られぬ、何私が善根|為《し》たがる慾《よく》じゃと笑うて気を大きく持《もつ》がよい、さあ御出《おいで》と取る手、振り払わば今川流、握り占《しめ》なば西洋流か、
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