いし》に鋒尖《きっさき》鋭く礪《と》ぎ上げ、頓《やが》て櫛《くし》の棟《むね》に何やら一日掛りに彫り付《つけ》、紙に包んでお辰|来《きた》らばどの様な顔するかと待ちかけしは、恋は知らずの粋様《すいさま》め、おかしき所業《しょぎょう》あてが外れて其晩吹雪|尚《なお》やまず、女の何としてあるかるべきや。されば流れざるに水の溜《たま》る如《ごと》く、逢《あ》わざるに思《おもい》は積りて愈《いよいよ》なつかしく、我は薄暗き部屋の中《うち》、煤《すす》びたれども天井の下、赤くはなりてもまだ破《や》れぬ畳の上に坐《ざ》し、去歳《こぞ》の春すが漏《もり》したるか怪しき汚染《しみ》は滝の糸を乱して画襖《えぶすま》の李白《りはく》の頭《かしら》に濺《そそ》げど、たて付《つけ》よければ身の毛|立《たつ》程の寒さを透間《すきま》に喞《かこ》ちもせず、兎《と》も角《かく》も安楽にして居るにさえ、うら寂しく自《おのずから》悲《かなしみ》を知るに、ふびんや少女《おとめ》の、あばら屋といえば天井も無《な》かるべく、屋根裏は柴《しば》焼《た》く煙りに塗られてあやしげに黒く光り、火口《ほくち》の如き煤は高山《こうざん》の樹《き》にかゝれる猿尾枷《さるおがせ》のようにさがりたる下に、あのしなやかなる黒髪|引詰《ひきつめ》に結うて、腸《はらわた》見えたるぼろ畳の上に、香露《こうろ》凝《こ》る半《なかば》に璧《たま》尚《なお》※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《やわらか》な細軟《きゃしゃ》な身体《からだ》を厭《いと》いもせず、なよやかにおとなしく坐《すわ》りて居《い》る事か、人情なしの七蔵め、多分《おおかた》小鼻怒らし大胡坐《おおあぐら》かきて炉の傍《はた》に、アヽ、憎さげの顔見ゆる様な、藍格子《あいごうし》の大どてら着て、充分酒にも暖《あたたま》りながら分《ぶん》を知らねばまだ足らず、炉の隅《すみ》に転げて居る白鳥《はくちょう》徳利《どくり》の寐姿|忌※[#二の字点、1−2−22]《いまいま》しそうに睨《ね》めたる眼《め》をジロリと注ぎ、裁縫《しごと》に急がしき手を止《とめ》さして無理な吩附《いいつけ》、跡引き上戸の言葉は針、とが/\しきに胸を痛めて答うるお辰は薄着の寒さに慄《ふる》う歟《か》唇《くちびる》、それに用捨《ようしゃ》もあらき風、邪見に吹くを何防ぐべき骨|露《あらわ》れし壁|
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