たたくま》に路《みち》を埋《うず》め、脛《はぎ》を埋《うず》め、鼻の孔《あな》まで粉雪吹込んで水に溺《おぼ》れしよりまだ/\苦し、ましてや准備《ようい》おろかなる都の御《お》客様なんぞ命|惜《おし》くば御逗留《ごとうりゅう》なされと朴訥《ぼくとつ》は仁に近き親切。なるほど話し聞《きい》てさえ恐ろしければ珠運《しゅうん》別段急ぐ旅にもあらず。されば今日|丈《だけ》の厄介《やっかい》になりましょうと尻《しり》を炬燵《こたつ》に居《すえ》て、退屈を輪に吹く煙草《たばこ》のけぶり、ぼんやりとして其辺《そこら》見回せば端なく眼《め》につく柘植《つげ》のさし櫛《ぐし》。さては花漬売《はなづけうり》が心づかず落し行《ゆき》しかと手に取るとたん、早《は》や其人《そのひと》床《ゆか》しく、昨夕《ゆうべ》の亭主が物語今更のように、思い出されて、叔父《おじ》の憎きにつけ世のうらめしきに付け、何となく唯《ただ》お辰《たつ》可愛《かわい》く、おれが仏なら、七蔵《しちぞう》頓死《とんし》さして行衛《ゆくえ》しれぬ親にはめぐりあわせ、宮内省《くないしょう》よりは貞順善行の緑綬《りょくじゅ》紅綬紫綬、あり丈《たけ》の褒章《ほうしょう》頂かせ、小説家には其《その》あわれおもしろく書かせ、祐信《すけのぶ》長春《ちょうしゅん》等《ら》を呼び生《いか》して美しさ充分に写させ、そして日本一|大々尽《だいだいじん》の嫁にして、あの雑綴《つぎつぎ》の木綿着を綾羅《りょうら》錦繍《きんしゅう》に易《か》え、油気少きそゝけ髪に極《ごく》上々|正真伽羅栴檀《しょうじんきゃらせんだん》の油|付《つけ》させ、握飯《にぎりめし》ほどな珊瑚珠《さんごじゅ》に鉄火箸《かなひばし》ほどな黄金脚《きんあし》すげてさゝしてやりたいものを神通《じんつう》なき身の是非もなし、家財|売《うっ》て退《の》けて懐中にはまだ三百両|余《よ》あれど是《これ》は我身《わがみ》を立《たつ》る基《もと》、道中にも片足満足な草鞋《わらじ》は捨《すて》ぬくらい倹約《つましく》して居るに、絹絞《きぬしぼり》の半掛《はんがけ》一《ひ》トつたりとも空《あだ》に恵む事難し、さりながらあまりの慕わしさ、忘られぬ殊勝さ、かゝる善女《ぜんにょ》に結縁《けちえん》の良き方便もがな、噫《ああ》思い付《つい》たりと小行李《こごうり》とく/\小刀《こがたな》取出し小さき砥石《と
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