時《むかし》の優しかりしとは別のやうなる人となりて、奴婢《ぬび》の見る眼もいぶせきまでの振舞を為る折多しと聞く、既に御仏の道に入りたまひたれば我には今は子ならずと君は仰すべけれど、其君が子はいと美しう才もかしこく生れつきて、しかも美しく才かしこくして位高き際の人に思はれながら、心の底には其人を思はぬにしもあらざるに、養はれたる恩義の桎梏《かせ》に情《こゝろ》を枉《ま》げて自ら苦み、猶其上に道理無き呵責《かしやく》を受くる憫然《あはれさ》を君は何とか見そなはす、棄恩《きおん》入無為《にふむゐ》の偈《げ》を唱へて親無し子無しの桑門《さうもん》に入りたる上は是非無けれども、知つては魂魄《たましひ》を煎らるゝ思ひに夜毎の夢も安からず、いと恐れあることながら此頃の乱れに乱れし心からは、御仏の御教も余りに人の世を外《そ》れたる、酷き掟なりと聊かは御恨み申すこともあるほど、子といひながら子と云へねば、親にはあれど親ならぬ、世の外の人、内の人、知らぬ顔して過すをば、一旦仏門に入りしものゝ行儀とするも理無《わりな》しや、春は大路の雨に狂ひ小橋の陰に翻る彼の燕だに、児を思ふては日に百千度《もゝちたび》巣に
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