叔母も日頃は養ひ娘の賢き可愛《いとし》さと、生《うみ》の女《むすめ》の自然《おのづから》なる可愛《いとし》さとに孰れ優り劣り無く育てけるが、今年は二人ともに十六になりぬ、髪の艶、肌の光り、人の※[#「女+瑁のつくり」、第4水準2−5−68]《そね》み心を惹くほどに我子は美しければ、叔母も生《おふ》したてたるを自《おの》が誇りにして、せめて四位の少将以上ならでは得こそ嫁《あは》すまじきなど云ひ罵り、おのが真の女をば却つて心にも懸け居ざるさまにもてあつかひ居たりしが、右の大臣の御子|某《それ》の少将の、図らずも我が女をば垣間見玉ひて懸想し玉ひしより事起りて、叔母の心いと頑兇《かたくな》になり日に/\口喧《くちかしがま》しう嘲《あざ》み罵り、或時は正なくも打ち擲き、密に調伏の法をさへ由無き人して行せたるよしなり、某の少将と云へるは才賢く心性《こゝろざま》誠ありて優しく、特《こと》に玉を展べたる様の美しき人なれば、自己が生の女の婿がねにと叔母の思ひつきぬるも然ることながら、其望みの思ふがまゝにならで、飾り立てたる我が女には眼も少将の遣り玉はざるが口惜しとて、養ひ娘を悪くもてあつかふ愚さ酷さ、昔時《むかし》の優しかりしとは別のやうなる人となりて、奴婢《ぬび》の見る眼もいぶせきまでの振舞を為る折多しと聞く、既に御仏の道に入りたまひたれば我には今は子ならずと君は仰すべけれど、其君が子はいと美しう才もかしこく生れつきて、しかも美しく才かしこくして位高き際の人に思はれながら、心の底には其人を思はぬにしもあらざるに、養はれたる恩義の桎梏《かせ》に情《こゝろ》を枉《ま》げて自ら苦み、猶其上に道理無き呵責《かしやく》を受くる憫然《あはれさ》を君は何とか見そなはす、棄恩《きおん》入無為《にふむゐ》の偈《げ》を唱へて親無し子無しの桑門《さうもん》に入りたる上は是非無けれども、知つては魂魄《たましひ》を煎らるゝ思ひに夜毎の夢も安からず、いと恐れあることながら此頃の乱れに乱れし心からは、御仏の御教も余りに人の世を外《そ》れたる、酷き掟なりと聊かは御恨み申すこともあるほど、子といひながら子と云へねば、親にはあれど親ならぬ、世の外の人、内の人、知らぬ顔して過すをば、一旦仏門に入りしものゝ行儀とするも理無《わりな》しや、春は大路の雨に狂ひ小橋の陰に翻る彼の燕だに、児を思ふては日に百千度《もゝちたび》巣に
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