り、ただわずかに一書を友人に遺《のこ》せるのみ。
十一日午前七時青森に着き、田中|某《ぼう》を訪《と》う。この行|風雅《ふうが》のためにもあらざれば吟哦《ぎんが》に首をひねる事もなく、追手を避《さ》けて逃《に》ぐるにもあらざれば駛急《しきゅう》と足をひきずるのくるしみもなし。さればまことに弥次郎兵衛《やじろべえ》の一本立の旅行にて、二本の足をうごかし、三本たらぬ智恵《ちえ》の毛を見聞を広くなすことの功徳《くどく》にて補わむとする、ふざけたことなり。
十二日午前、田中某に一宴《いちえん》を餞《せん》せらるるまま、うごきもえせず飲み耽《ふけ》り、ひるいい終わりてたちいでぬ。安方町《やすかたまち》に善知鳥《うとう》のむかしを忍び、外の浜に南兵衛のおもかげを思う。浅虫というところまで村々|皆《みな》磯辺《いそべ》にて、松風《まつかぜ》の音、岸波の響《ひびき》のみなり。海の中に「ついたて」めきたる巌《いわお》あり、その外しるすべきことなし。小湊《こみなと》にてやどりぬ。このあたりあさのとりいれにて、いそがしぶる乙女《おとめ》のなまじいに紅染《べにぞめ》のゆもじしたるもおかしきに、いとかわゆき小女のかね黒々と染《そめ》ぬるものおおきも、むかしかたぎの残れるなるべしとおぼしくて奇《き》なり。見るものきくもの味《あじわ》う者ふるるもの、みないぶせし。笥《け》にもるいいを椎《しい》の葉のなぞと上品の洒落《しゃれ》など云うところにあらず。浅虫にいでゆあるよしなれど、みちなかなればいらずありき、途中《とちゅう》帽子《ぼうし》を失いたれど購《あがな》うべき余裕《よゆう》なければ、洋服には「うつり」あしけれど手拭《てぬぐい》にて頬冠《ほおかぶ》りしけるに、犬の吠《ほ》ゆること甚《はなはだ》しければ自ら無冠《むかん》の太夫《たゆう》と洒落ぬ。旅宿《やど》は三浦屋《みうらや》と云うに定めけるに、衾《ふすま》は堅《かた》くして肌《はだ》に妙ならず、戸は風|漏《も》りて夢《ゆめ》さめやすし。こし方行末おもい続けてうつらうつらと一夜をあかしぬ。
十三日、明けて糠《ぬか》くさき飯ろくにも喰《く》わず、脚半《きゃはん》はきて走り出づ。清水川という村よりまたまた野辺地《のべち》まで海岸なり、野辺地の本町《ほんまち》といえるは、御影石《みかげいし》にやあらん幅《はば》三尺ばかりなるを三四丁の間|敷《し》
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング