つきぬ。床《とこ》の間《ま》に刀掛《かたなかけ》を置けるは何のためなるにや、家づくりいとふるびて興あり。この日はじめて鮭《さけ》を食うにその味美なり。
十五日、朝、雨気ありたれども思いきりて出づ。三の戸、金田一、福岡《ふくおか》と来りしが、昨日《きのう》は昼餉《ひるげ》たべはぐりてくるしみければ今日はむすび二ツもらい来つ、いで食わんとするに臨み玉子うる家あり。価を問えば六|厘《りん》と云う。三つばかり買いてなお進み行くに、路傍《ろぼう》に清水いづるところあり。椀《わん》さえ添えたるに、こしかけもあり。草を茵《しとね》とし石を卓《たく》として、谿流《けいりゅう》の※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16、90−2]回《えいかい》せる、雲烟《うんえん》の変化するを見ながら食うもよし、かつ価も廉《れん》にして妙なりなぞとよろこびながら、仰《あお》いで口中に卵を受くるに、臭《におい》鼻を突《つ》き味舌を刺《さ》す。驚《おどろ》きて吐《は》き出すに腐《くさ》れたるなり。嗽《くちそそ》ぎて嗽げども胸わろし。この度は水の椀にとりて見るにまたおなじ、次もおなじ。これにて二銭種なしとぞなりける。腹はたてども飯ばかり喰いぬ。
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鳥目《ちょうもく》を種なしにした残念さ
うっかり買《かっ》たくされ卵子《たまご》に
やす玉子きみもみだれてながるめり
知りなば惜《お》しき銭をすてむや
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これより行く手に名高き浪打峠《なみうちとうげ》にかかる。末の松山を此地という説もあり。いずれに行くとも三十里余りを経《へ》ずば海に遇《あ》うことはなり難かるべし。但《ただ》し貝の化石は湯田というところよりいづるよしにて処々《ところどころ》に売る家あり、なかなか価安からず。かくてすすむほどに山路に入りこみて、鬱蒼《うっそう》たる樹、潺湲《せんかん》たる水のほか人にもあわず、しばらく道に坐《ざ》して人の来るを待ち、一ノ戸[#「一ノ戸」の「ノ」は小書き]まで何ほどあるやと問うに、十五里ばかりと答う。駭然《がいぜん》として夢か覚《うつつ》か狐子《こし》に騙《へん》せらるるなからむやと思えども、なお勇気を奮《ふる》いてすすむに、答えし男急に呼《よ》びとめて、いずかたへ行くやと云う。不思議に思いて、一の戸に行くなりと生《なま》いらえするに、
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