と》過ぐれば熱さ忘るゝ
西 鑿といへば鎚
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 東のは懲りて復これを忘るゝものを云ひ、西のは人須らく智を運し功を速《すみ》やかにすべきを云へり。西のは東の方にては云はぬ諺なるが、鑿は鉄鎚を待つて其の功を遂ぐるものなれば、鑿をと云はば鎚をも添へて与ふるやうにせよとなり。東のは失敗の径路を指摘して戒め、西のは成功の用意の如何にすべきかを教ふ。西のの方おもしろし。
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東 鬼に鉄棒《かなぼう》
西 鬼も一八
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 既に強力なり、加ふるに利器を以てす、人誰か之に当るを得ん。東のは之を説けり。物皆時あり、至醜のものと雖《いへど》も小美の時無くばあらず。西のは之を談ぜるなり。両諺共に佳。
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東 くさいものには蓋
西 くさいものに蝿
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 東のは臭腐のもの須らく之を掩ふべきを云ひ、西のは穢は又おのづから穢を引きて、臭物の蒼蝿を致すことを云へり。古は西の短語「くさいものに蝿」と無くして「くさつても鯛」とありし由、今のかるたにも、画には鯛を描けり。腐つても鯛と云へる諺は余り好ましからず。
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東 やす物買ひの銭失ひ
西 やみに鉄砲
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 低価の貨物を買ふ勿《なか》れとは江戸の人の気象をあらはし、闇夜に鉄砲を放つがごときことを為すを嘲るも亦、京坂地方の人の気象をあらはせり。
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東 負けるは勝
西 まかぬ種子《たね》は生えぬ
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 気を負ひて忍びざる東に、負けるは勝の諺の用ゐらるゝもおもしろく、理智に長けたる人多き西に、播かぬ種子は生えぬといへる諺の用ゐられあるは当に然るべきやうに思はる。
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東 芸は身を助ける
西 下駄に焼味噌
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 東のは意明らかなり、西のは汚潔混淆の愚を斥けたるにや、其の意不明にして確解すべからず。
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東 ふみはやりたし書く手は持たず
西 ふくろうの宵だくみ
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 東のは幼にして学ばざりしを悲み、西のは思ふこと多くして做すこと少き痴を笑へるにや。西のは、もとは「武士は喰はねど高楊子」とありし由なり。
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東 子は三界の首枷
西 これにこりよ道西坊
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 欲界より色界無色界に至りても、親子は恩深ければ、枷鎖相纏はりて脱せずといへるは東のなり。西のは其の意明らかならねども、秘事は四知を免れず、拙為は独歎を発するに足れり。凡庸の徒おほむね先見無し、一蹉躓一顛倒して後自ら懲戒するも、数の免る能はざるところなり。唯よく自ら懲り自ら戒めよとならん。
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東 えてに帆を上げ
西 えんと月日
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 東は意を得て勢に乗ずるを云ひ、西は因縁の到来と日月の経過とを待ち得ば、苦去り甘来らんと云へるなり。むかしは、「縁と月日」と云ふ語ならずして、「栄曜に餅の皮むく」と云へる語なりし由也。
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東 亭主の好きな赤烏帽子
西 寺から里へ
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 松浦肥前守、赤き烏帽子を戴きしといふ奇解の塩尻に出でしより、人皆之に従ひて怪まず、多くの画にも、人の赤き烏帽子冠れるさまを描きたれど、土地によりては、赤烏帽子と云はずして、「亭主の好きな赤鰯」といふもあるなり。赤鰯は鰯の塩蔵|若《もし》くは乾蔵せるものにして、其の味の美ならざること言ふまでも無し。語の意は、赤鰯珍とするに足らず、されど亭主之を好まば又数※[#二の字点、1−2−22]用ゐられんのみ、人之を如何ともする無し、といふに在り。寺から里へとは、物の顛倒せるを云ふ。二諺共に妙無し。
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東 あたま隠して尻かくさず
西 あきなひは牛の涎
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 東のは蔵頭露尾の醜を笑ひ、西のは商估の道、気を伏せ心を寛うすべきを云へるなり。西の諺教へ得て甚だ好し。
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東 三遍回つて煙草にしよ
西 猿も木から墜ちる
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 能く勤めて而して後休む可しと云ふは東のなり。既に慣るゝも猶且つ過つ有らんと云ふは西のなり。共に嘉言にして佳趣あり。
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東 聞いて極楽見
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