音もて読みしより、訛《なま》りて郷平となりたるなりという昔の人の考えを宜《うべ》ない、国神野上も走りに走り越し、先には心づかざりし道の辺に青石の大なる板碑立てるを見出しなどしつ、矢那瀬寄居もまた走り過ぎ、暗くなりて小前田に泊りたり。
十日、宿を立出でて長善寺の傍《かたえ》より左へ横折れ、観音堂のほとりを過ぎ、深谷《ふかや》へと心ざす。幸に馬車の深谷へ行くものありければ、武蔵野というところよりそれに乗りて松原を走る。いと広き原にて、行けども行けども尽くることなし。名を問えば櫛挽の原という。夕日さす景色も淋し松たてる岡部の里と、為相《ためすけ》の詠めるあたりもこの原つづきなり。よっておもうに、岡部の里をよめる歌には松をよめるが多きようなり。深谷に着きて汽車に打乗り、鴻巣《こうのす》にいたりて汽車を棄て、人力車《くるま》を走らせて西吉見の百穴《あな》に人間の古《むかし》をしのび、また引返して汽車に乗り、日なお高きに東京へ着き、我家のほとりに帰りつけば、秩父より流るる隅田川の水笑ましげに我が影を涵《ひた》せり。
底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15
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