田川の水としいえば黄ばみ濁りて清からぬものと思い馴《な》れたれど、水上にて水晶のようなる氷をさえ出すかと今更の如くに、源の汚れたる川も少く、生れだちより悪き人の鮮《すくな》かるべきを思う。ここの町よりただ荒川|一条《ひとすじ》を隔《へだ》てたる鉢形村といえるは、むかしの鉢形の城のありたるところにて、城は天正《てんしょう》の頃、北条氏政《ほうじょううじまさ》の弟|安房守《あわのかみ》氏邦の守りたるところなれば、このあたりはその頃より繁昌したりと見ゆ。
 寄居を出離れて行くこと少時にして、水の流るるとおぼしき音の耳に入れば、さては道と川と相近づきたるかと疑いつつ行くに、果して左の方に水の光り見えたり。問わずして荒川とは知るものから、昨日と今日とは見どころ異《かわ》れば同じ流れながら如何なるさまをかなせると、路より少し左に下る小径のあるにまかせて伝い行くに、たちまちにしてささやかなる家を得たり。家は数十丈の絶壁にいと危くも桟《かけ》づくりに装置《しつら》いて、旅客が欄に※[#「馮/几」、第4水準2−3−20]《よ》り深きに臨みて賞覧を縦《ほしいまま》にせんを待つものの如し。こはおもしろしと走り寄りて見下せば、川は開きたる扇の二ツの親骨のように右より来りて折れて左に去り、我が立つところの真下の川原は、扇の蟹眼釘《かにめ》にも喩《たと》えつべし。ところの名を問えば象が鼻という。まことにその名|空《むな》しからで、流れの下にあたりて長々と川中へ突き出でたる巌のさま、彼の普賢菩薩《ふげんぼさつ》の乗りもののおもかげに似たるが、その上には美わしき赤松ばらばらと簇立《むらだ》ち生いて、中に聖天尊の宮居神さびて見えさせ給える、絵を見るごとくおもしろし。川は巌の此方《こなた》に碧《みどり》の淵をなし、しばらく澱《よど》みて遂に逝《ゆ》く。川を隔てて遥《はるか》彼方には石尊山白雲を帯びて聳《そび》え、眼の前には釜伏山の一[#(ト)]つづき屏風《びょうぶ》なして立つらなれり。折柄《おりから》川向の磧には、さしかけ小屋して二、三十人ばかりの男|打集《うちつど》い、浅瀬の流れを柵して塞き、大きなる簗《やな》をつくらんとてそれそれに働けるが、多くは赤はだかにて走り廻れる、見る眼いとおかし。ここに※[#「田+比」、第3水準1−86−44]奈耶迦天を祀《まつ》れるは地の名に因《ちな》みてしたるにやあら
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