南へ行きたる処の道の東側なる商家のうしろに二ツほどありという。さらばそれも見んとて老媼《おうな》にわかれ立出で、それとおぼしき家にことわりいいて、突《つ》と裏の方に至り見るに、大さのやや異なるのみにて、ここのもそのさま前のと同じく、別に見るべきところもなし。ただここにはそれと知れたる外に、穴の口全く埋もれしままにて、いまだ掘発《ほりおこ》さざるがありて、そぞろに人の事を好む心を動かす。されど敢て乞うて掘るべくもあらねば、そのままに見すてて道を急ぎ、国神村というに至る。この村の名も、国神塚といえるがこのあたりにあるより称えそめしなるべし。
 今宵《こよい》は大宮に仮寝の夢を結ばんとおもえるに、路程《みちのり》はなお近からず、天《そら》は雨降らんとし、足は疲れたれば、すすむるを幸に金沢橋の袂《たもと》より車に乗る。流れの上へ上へとのぼるなれど、路あしからねば車も行きなずまず。とかくするうち夏の夕の空かわりやすく、雨雲|天《そら》をおおいしと見る程もなく、山風ざわざわと吹き下し来て草も木も鳴るとひとしく、雨ばらばらと落つるやがて車の幌もかけあえぬまに篠《しの》つく如くふり出しぬ。赤平川の鉄橋をわたる頃は、雷さえ加わりたればすさまじさいうばかりなく、おそるおそる行くての方を見るに、空は墨より黒くしていずくに山ありとも日ありとも見えわかず、天地《あめつち》一つに昏《くら》くなりて、ただ狂わしき雷、荒ぶる雨、怒れる風の声々の乱れては合い、合いてはまた乱れて、いずれがいずれともなく、ごうごうとして人の耳を驚かし魂をおびやかすが中に、折々雲裂け天《そら》破れて紫色《むらさき》の光まばゆく輝きわたる電魂《いなだま》の虚空に跳り閃く勢い、見る眼の睛《ひとみ》をも焼かんとす。ところは寂びたり、人里は遠し、雨の小止をまたんよすがもなければ、しとど降る中をひた走りに走らす。ようやく寺尾というところにいたりたる時、路のほとりに一つ家の見えければ、車ひく男駆け入りて、おのれらもいこい、我らをもいこわしむ。男らの面を見れば色もただならず、唇までも青みたり。牛馬に等しき事して世をわたるいやしきものながら、同じ人なればさすがにあわれに覚ゆ。我らのほかにも旅人三人ばかり憩い居けるが、口々にあらずもがなのおそろしき雨かなとつぶやき、この家の主が妻は雷をおそれて病める人のようにうちふしなやむ。
 されどとか
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