に、まことにあしき病なんど行わるる折なれば、くず湯召したまわんとはよろしき御心づきなり、湯の沸えたぎらばまいらせんほどに、しばし待ちたまえといいて、傍《かたえ》の棚をさぐりて小皿をとりいだし懐にして立出でしが、やがて帰り来れるを見れば白き砂糖をその皿に山と盛りて手にしたり。くず湯に入るべき白き砂糖のなかりければ、老の足のたどたどしくも母屋がり行きもどりせしとは問わでも知らるるに、ここらのさびしさ、人の優しさ目のあたり見ゆ。ただし今の世の風に吹かれたる若き人はこうもあらぬなるべし。
 かくてくず湯も成りければ、啜る啜るさまざまの物語する序《ついで》に、氷雨塚というもののこのあたりにあるべきはずなるが知らずやと問えば、そのいわれはよくも知らねど塚は我が家のすぐ横にあり、それその竹の一《ひ》[#(ト)]|簇《むら》しげれるが、尋ねたまうものなりと指さし示す。氷の雨塚とは太古《おおむかし》のいまだ開けざる頃の人の住家もしくは墓穴のたぐいを、むかし氷の雨降りたる時人々の隠れたりしところならんと後のものの思いしより呼びならわせし名にやあるべき、詳《くわし》くは考うべき由なし。大淵、小柱、金崎、皆野、久那、寺尾等秩父郡の村々には氷雨塚と称うるもの甚《はなは》だ多く、大野原には百八塚などいうものあり、また贄川《にえがわ》、日野あたりには棒神と唱えて雷槌《いかずち》を安置せるものありと聞きしまま、秩父へ来し次手《ついで》には、おおむかしのかたみの氷の雨塚というもののさまをも見おぼえおかんとおもいしまでなりしが、休めるところの鼻のさきにその塚ありと聞きては、心もはずみて興を増しつ、身を起してそこに行き見るに、塚は小高き丘をなして、丘の上には翠の葉かげ濃《こま》やかに竹美しく生い立ちたり。塚のやや円形《まるがた》に空虚《うつろ》にして畳二ひら三ひらを敷くべく、すべて平めなる石をつみかさねたるさま、たとえば今の人の煉瓦《れんが》を用いてなせるが如し。入口の上框《あがりかまち》ともいうべきところに、いと大なる石を横たえわたして崩れ潰《つい》えざらしめんとしたる如きは、むかしの人もなかなかに巧みありというべし。寒月子の図も成りければ、もとのところに帰り、この塚より土器の欠片《かけ》など出したる事を耳にせざりしやと問えば、その様《よう》なることも聞きたるおぼえあり、なお氷雨塚はここより少しばかり
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