れ》たる望みならずや。粗心浮気、筆をも択まず道具をも詮議せざるほどの事にて、能く何をか為し得ん。筆択むべし、道具詮議すべし、魚を釣らんとせば先づ釣の具を精《よ》くすべし。まして魚を釣り小禽を狩るが如き遊び楽みの上にては、竿の調子、綸《いと》の性質、鉤の形などを論ずるも、実は遊びの中にして、弾丸《たま》と火薬との量の比例、火薬の性質、銃の重さの分配の状《さま》、銃床の長さ、銃の式などを論ずるも、また実は楽みの中なるをや。嘗て釣りの道に精く通ぜる人※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−12]の道具を論ずるを聞くに、甲も中田といひ、乙も中田といひ、丙もまた中田といひて、苟も道具を論ずるに当りては中田の名を云ひ出でざること無き程なれば、名の下果して虚しからずば中田といふもの必ず良き品を作り出すなるべし、おのれもまた機《をり》を得て購《か》はんと、其家の在り処《か》など予て問ひ尋ね置きたりしかば、直ちにそれかと覚しき店を見出して、此家《こゝ》にこそあれと突《つ》と入りぬ。
 名の聞こえたる家のことなれば、店つきなども美しく売るところの品※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、163−17]数多く飾り立てられたるならんとは誰人も先づ想ふべけれど、打見たるところにては品物なども眼に入らぬほど少く、店と云はんよりは細工場と云ふべきさまなるも、深く蔵して無きが如くすといふ語さへ思ひ合はされてゆかし。主人《あるじ》に打向ひて、鼠頭魚釣りに用うべき竿を得たしと云へば、日をさへ仮し玉はば好み玉はんまゝ如何様にも作りまゐらすべけれど、今直ちに欲しとの仰せならば参らすべきはたゞ二本よりほか無し、其中にて好きかたを択み取りたまふべしと答ふ。如何で然《さ》は竿の数乏しきやと問へば、主人の子なるべし年若くして清らなる男、随つて成れば随つて人の需め去るまゝ常に是の如し、御心に飽くほどのものを得玉はんとならば、極めて細《こまか》に兎せよ角せよと命じたまへといふ。良工の家なれば滞貨無きも宜《むべ》なり、特に我が好めるやうに作らせんは甚だ可なるに似たれど、実は我が知れるところよりも此家《ここ》の主人の知れる所の方深くして博かるべきは云ふまでも無きに、我は顔して浅はかなる好みを云ひ出でんも羞かし、且は日も逼りたれば是は寧ろ此家の主人が良しと思ひて作り置けるものを良しとして購《か》はんかた、※[#「※」は「來+のぶん+したごころ」、第3水準2−12−72、164−11]《なまじ》に賢立《かしこだ》てして我が好みのまゝに作らせんよりは却て可かるべしと思ひしかば、いや、我猶釣の道に昧ければ我が好みを云ふべくもあらず、たゞ此家《こゝ》の品の必ず佳かるべきを知りて来れるものなれば、一も二も無く此家の主人の君の言に従ひて、その良しとするものを良しとし其の良からずとするものを良からずとせん、二本ありとならば其の一本を択みて与へよ、価の高き低きは問ふところにあらずと云ひ出づれば、主人も聊か笑を含みて、然《さ》らば此の方を召し玉へ、我が口よりは如何で誇らん、只眼あらん人は必ず此竿を知るべし、君もまた用ゐ玉ひて後、価の君を欺かざるを知り玉ふべしと云ひつゝ、一本の竿を我が手にわたす。受け取りてつく/″\見るに、竿に具ふべきかど/\の中にても重きかどの一つなる節※[#「※」は「二の字点」、第3水準1−2−22、165−1]の配りもいとよく斉ひて、本より末に至るに随ひ漸く其間|蹙《しゞ》まり、竹の育ちすらりとして捩れも無く癖も無く、特に穂竿の剛《かた》からず弱からずして靭《しな》やかに能く耐ふる力の八方に同じきなど、用ゐざるに既《はや》其|効《かひ》もおもひ遣らるゝまでなり。嬉しきはそれのみならず、竿の長さは鼠頭魚釣りに用うべき竿の大概《おほよそ》の定めの長さ一丈一尺だけ有りながら、其重さの旧《もと》より用ゐしものに比べてはいと軽きもまた好ましき一つなれば、我が心全く足りて之を購《か》ひつ、次《ついで》を以て我が知らぬ新しき事もやあらんと装置《しかけ》をも一ト揃購ひぬ。
 綸、天蚕糸《てぐす》など異りたること無し。鉤もまた昔ながらの狐形と袖形となり。たゞ鉛錘《おもり》は近来《ちかごろ》の考に成りたる由にて、「にっける」の薄板を被《き》せたれば光り輝きて美し。さては外国《とつくに》の人の誤つて銀の匙を水に落せし時魚の集り来りしを見て考へつきしといふ、光りあるものの付きたる鉤と同じく、これも光りに寄る魚の性に基づきたるなるべしなんど思ひつゝ、家に帰る路すがら、雲立ちたる空を仰ぎて、今はたゞ明日の雨ふらざらんことをのみ祈りける。
 其日昼過ぐる頃、弟は学校より帰り来りて、おのれが釣竿、装置《しかけ》など検めゐしが、見おぼえぬ竿のあるを見出して、此《こ》は兄上の新に購《か》
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