坊太郎坊と主人が呼んでいたところのものであった。アッとあきれて夫婦はしばし無言のまま顔を見合せた。
 今まで喜びに満されていたのに引換《ひきか》えて、大した出来ごとではないが善いことがあったようにも思われないからかして、主人は快く酔《よ》うていたがせっかくの酔《よい》も興も醒《さ》めてしまったように、いかにも残念らしく猪口の欠けを拾ってかれこれと継《つ》ぎ合せて見ていた。そして、
「おれが醺《よ》っていたものだから。」
と誰《だれ》に対《むか》って云うでも無く独語《ひとりごと》のように主人は幾度《いくど》も悔《くや》んだ。
 細君はいいほどに主人を慰《なぐさ》めながら立ち上って、更に前より立優《たちまさ》った美しい猪口を持って来て、
「さあ、さっぱりとお心持よく此盃《これ》で飲《あが》って、そしてお結局《つもり》になすったがようございましょう。」
と慇懃《まめやか》に勧めた。が、主人はそれを顧みもせずやっぱり毀《こわ》れた猪口の砕片《かけら》をじっと見ている。
 細君は笑いながら、
「あなたにもお似合いなさらない、マアどうしたのです。そんなものは仕方がありませんから捨てておしまいなすっ
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