んでも無い。ハハハ。申しようが悪うござりました。私、何でおろかしい獣になり申そう。ただ立《た》チ[#「チ」は小書き]端《ば》が無いまで困《こう》じきって、御余裕のある御挨拶を得たさの余りに申しました。今一応あらためて真実心を以て御願い致しまする。如何様の事にても、仮令《たとい》臙脂屋を灰と致しましても苦しゅうござりませぬ、何卒|彼《かの》品《しな》御かえし下されまするよう折入って願い上げまする。真実《まこと》、斯《こ》の通り……」
と誠実こめて低頭《じぎ》するを、
「いやでござる。」
と膠《にべ》も無く云放つ。
「かほどに御願い申しましても。」
「くどい。いやと申したら、いやでござる。」
 客は復《ふたた》び涙の眼になった。
「余りと申せば御情無い。其品を御持になったればとて其方《そなた》様《さま》には何の利得のあるでも無く、此方《こなた》には人の生命《いのち》にもかかわるものを……。相済みませぬが御恨めしゅう存じまする。」
「恨まれい、勝手に恨まれい。」
「我等の仇《あだ》でもない筈にあらせらるるに、それでは、我等を強いて御仇になさるると申すもの。」
「仇になりたくばならるるまで。」
「それでは何様《どう》あっても。」
「いやでござる。もはや互に言うことはござらぬ。御引取なされい。」
「ハアッ」
と流石《さすが》の老人《としより》も男泣に泣倒れんとする、此時足音いと荒く、
「無作法御免。」
と云うと同時に、入側様《いりがわよう》になりたる方より、がらりと障子を手ひどく引開けて突入し来たる一個の若者、芋虫《いもむし》のような太い前差、くくり袴《ばかま》に革《かわ》足袋《たび》のものものしき出立、真黒な髪、火の如き赤き顔、輝く眼、年はまだ二十三四、主人《あるじ》の傍《かたえ》にむんずと坐って、臙脂屋の方へは会釈も仕忘れ、傍に其人有りともせぬ風で、屹《きっ》として主人の面《おもて》を見守り、逼《せま》るが如くに其眼を見た。主人は眼をしばたたいて、物言うなと制止したが、それを悟ってか悟らいでか、今度はくるり臙脂屋の方へ向って、初めて其面をまともに見、傲然《ごうぜん》として軽く会釈し、
「臙脂屋御主人と見受け申す。それがしは牢人丹下右膳。」
と名乗った。主人は有らずもがなに思ったらしいが、にッたりと無言。臙脂屋は涙を収めて福々爺《ふくふくや》に還《かえ》り、叮寧《ていねい》に頭《かしら》を下げて、
「堺、臙脂屋隠居にござりまする。故管領様|御内《おうち》、御同姓備前守様御身寄にござりますか、但しは南河内の……」
と皆まで云わせず、
「備前守弟であるわ。」
と誇らしげに云って、ハッと兀頭《はげあたま》が復び下げられたのに、年若者だけ淡い満足を感じたか機嫌が好く、
「臙脂屋。」
と、今度ははや呼びすてである。然し厭味《いやみ》は無くて親しみはあった。
「ハ」
と、老人は若者の目を見た。若い者は無邪気だった。
「其方は何か知らぬが余程の宝物を木沢殿に所望致し居って、其願が聴かれぬので悩み居るのじゃナ。」
「ハ」
「一体何じゃ其宝物は。」
「…………」
「霊験ある仏体かなんぞか。」
「……ではござりませぬ。」
「宝剣か、玉《ぎょく》か、唐渡《からわた》りのものか。」
「でもござりませぬ。」
「我邦|彼《かの》邦《くに》の古筆、名画の類《たぐい》でもあるか。」
「イエ、然様《さよう》のものでもござりませぬ。」
「ハテ分らぬ、然らば何物じゃ。」
「…………」
 主人は横合より口を入れた。
「丹下氏、おきになされ。貴殿にかかわったことではござらぬ。」
「ハハハ。一体それがしは宝物などいうものは大嫌い、鼻汁《はな》かんだら鼻が黒もうばかりの古臭い書画や、二本指で捻《ひね》り潰《つぶ》せるような持遊《もてあそ》び物を宝物呼ばわりをして、立派な侍の知行何年振りの価をつけ居る、苦々しい阿房《あほう》の沙汰じゃ。木沢殿の宝物は何か知らぬが、涙こぼして欲しがるほどの此老人に呉れて遣って下されては如何でござる。喃《のう》、老人、臙脂屋、其方に取っては余程欲しいものと見えるナ。」
「然様でござりまする。上も無く欲しいものにござりまする。」
「ム、然様か。臙脂屋身代を差出しても宜いように申したと聞いたが、聢《しか》と然様か。」
「全く以て然様で。如何様の事でも致しまする。御渡しを願えますれば此上の悦《よろこ》びはござりませぬ。」
「聢と然様じゃナ。」
「御当家木沢左京様、又丹下備前守様御弟御さまほどの方々に対して、臙脂屋|虚言《うそ》詐《いつわ》りは申しませぬ。物の取引に申出を後へ退《ひ》くようなことは、商人《あきゅうど》の決して為《せ》ぬことでござりまする。臙脂屋は口広うはござりまするが、商人でござりまする。日本国は泉州堺の商人でござる。高麗大明、安南天竺、南蛮諸国まで相手に致しての商人でござる。御武家には人質を取るとか申して、約束|変改《へんがい》を防ぐ道があると承わり居りまするが、其様《そん》なことを致すようでは、商人の道は一日も立たぬのでござりまする。御念には及びませぬ、臙脂屋は商人でござる。世界諸国に立対《たちむか》い居る日本国の商人でござりまする。」
と暗に武家をさえ罵《ののし》って、自家の気を吐き、まだ雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《ひなどり》である右膳を激動せしめた。右膳は真赤な顔を弥《いや》が上に赤くした。
「ウ、ほざいたナ臙脂屋。小気味のよいことをぬかし居る。其儀ならば丹下右膳、汝《そち》の所望を遂げさせて遣わそう。」
「ヤ、これは何ともはや、有難いこと。御助け下さる神様と仰ぎ奉りまする。」
と真心見せて臙脂屋は平伏したが、ややあって少し頭《かしら》を上げ、憂わし気に又悲しげに右膳を見て、
「トは仰《おっし》あって下さりましても。」
と、恨めし気に主人の方を一寸見て、又急に丹下の前に頭を下げ、
「ヤ、ナニ。何分御骨折、宜しく願いまする。事叶わずとも、……重々御恩には被《き》ますでござります。」
と萎《しお》れて云った。
 雛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]は頸《くび》の毛を立てんばかりの勢になった。にッたりはにッたりで無くなった。
「木沢殿」と呼ぶ若い張りのある声と
「丹下氏」と呼ぶ緩《ゆる》い錆《さ》びた声とは、同時に双方の口から発してかち合った。
 二人が眼々《がんがん》相看た視線の箭《や》は其|鏃《やじり》と鏃とが正《まさ》に空中に突当った。が、丹下の箭は落ちた。木沢は圧《お》し被《かぶ》せるように、
「おきになされい、丹下氏。貴殿にかかわった事ではござらぬ。左京|一分《いちぶん》だけのずんと些細《ささい》なことでござる。」
と冷やかに且つ静かに云った。軽く若者を払い去って了おうとしたのであった。然し丹下の第二箭《だいにせん》は力強く放たれた。
「イヤ、木沢殿。御言葉を返すは失礼ながら、此の老人の先刻よりの申状、何事なりとも御意のまにまに致しまするとの誓言立《せいごんだて》、御耳に入らぬことはござるまい。臙脂屋と申せば商人ながら、堺の町の何人衆とか云われ居る指折、物も持ち居れば力も持ち居る者。ことに只今の広言、流石《さすが》は大家《たいけ》の、中々の男にござる。貴殿御所持の宝物、如何ようのものかは存ぜぬが、此男に呉れつかわされて、誓言通り此男に課状を負わさば、我等が企も」
と言いかくるを、主人《あるじ》左京は遽《あわ》ただしく眼と手とに一時に制止して、
「卒爾《そつじ》にものを言わるる勿《な》。もう宜《よ》い。何と仰せられてもそれがしはそれがし。互に言募れば止まりどころを失う。それがしは御相手になり申せぬ。」
と苦りきったる真面目顔、言葉の流れを截《き》って断たんとするを、右膳は
「ワッハハ」
と大河の決するが如く笑って、木沢が膝と我が膝と接せんばかりに詰寄って逼《せま》りながら、
「人の耳に入ってまこと悪くば、聴いた其奴《そやつ》を捻《ひね》りつぶそうまで。臙脂屋、其方が耳を持ったが気の毒、今此の俺《わし》に捻り殺されるか知れぬぞ。ワッハハハ」
と狂気《きちがい》笑《わら》いする。臙脂屋は聞けども聞かざるが如く、此勢に木沢は少しにじり退《すさ》りつつ、益々|毅然《きぜん》として愈々《いよいよ》苦りきり、
「丹下氏、おしずかに物を仰せられい。」
と云えども丹下は鎮《しず》まらばこそ、今は眼を剥《む》いて左京を一ト[#「ト」は小書き]睨《にら》みし、右膝に置ける大の拳《こぶし》に自然と入りたる力さえ見せて、
「我等が企と申したが御気に障ったそうナが、関《かま》わぬ、もはや関わぬ、此の機《しお》を失って何の斟酌《しんしゃく》。明日《あす》といい、明後日《あさって》といい、又明日といい明後日と云い、何の手筈がまだ調わぬ、彼《かに》の用意がまだ成らぬと、企を起してより延び延びの月日、人々の智慧才覚は然《さ》もあろうが、丹下右膳は倦《うん》じ果て申した。臙脂屋のじじい、それ、おのれの首が飛ぶぞ、用心せい、そもそも我等の企と申すのはナ」
と云いかけて、主人の面《おもて》をグッと睨む。主人も今は如何ともし難しと諦めてか、但しは此一場の始末を何とせんかと、※[#「匈/月」、1006−中−18]底《きょうてい》深く考え居りてか、差当りて何と為ん様子も無きに、右膳は愈々勝に乗り、
「故管領殿河内の御陣にて、表裏異心のともがらの奸計《かんけい》に陥入り、俄《にわか》に寄する数万《すまん》の敵、味方は総州征伐のためのみの出先の小勢、ほかに援兵無ければ、先ず公方をば筒井へ落しまいらせ、十三歳の若君|尚慶《ひさよし》殿ともあるものを、卑しき桂の遊女の風情に粧《よそ》いて、平《たいら》の三郎御供申し、大和《やまと》の奥郡《おくごおり》へ落し申したる心外さ、口惜《くちおし》さ。四月九日の夜に至って、人々最後の御盃、御《お》腹召されんとて藤四郎の刀を以て、三度まで引給えど曾《かつ》て切れざりしとよ、ヤイ、合点が行くか、藤四郎ほどの名作が、切れぬ筈も無く、我が君の怯《おく》れたまいたるわけも無けれど、皆是れ御最期までも吾《わ》が君の、世を思い、家を思い、臣下を思いたまいて、孔子《こうし》が魯《ろ》の国を去りかね玉いたる優しき御心ぞ。敵愈々逼りたれば吾が兄備前守」
と此処まで云いて今更の感に大粒の涙ハラハラと、
「雑兵共に踏入られては、御かばねの上の御恥も厭《いと》わしと、冠《かむ》リ[#「リ」は小書き]落しの信国が刀を抜いて、おのれが股《もも》を二度突通し試み、如何にも刃味|宜《よ》しとて主君に奉る。今は斯様《こう》よとそれにて御自害あり、近臣一同も死出の御供、城は火をかけて、灰今冷やかなる、其の残った臣下の我等一党、其儘《そのまま》に草に隠れ茂みに伏して、何で此世に生命《いのち》生きようや。無念骨髄に徹して歯を咬《か》み拳を握る幾月日、互に義に集まる鉄石の心、固く結びてはかりごとを通じ力を合せ、時を得て風を巻き雲を起し、若君尚慶殿を守立てて、天《あま》翔《か》くる竜の威を示さん存念、其企も既に熟して、其時もはや昨今に逼った。サ、かく大事を明かした上は、臙脂屋、其座はただ立たせぬぞ、必ず其方、武具、兵粮《ひょうろう》、人夫、馬、車、此方の申すままに差出さするぞ。日本国は堺の商人《あきゅうど》、商人の取引、二言は無いと申したナ。木沢殿所持の宝物は木沢殿から頂戴して遣わす。宜いではござらぬか、木沢殿。失礼ながら世に宝物など申すは、いずれ詰らぬ、下らぬもの。心よく呉れて遣って下されい。我等同志がためになり申す。……黙然として居らるるは……」
「不承知と申したら何となさる。」
「ナニ。いや、不承知と申さるる筈はござるまい。と存じてこそ是《かく》の如く物を申したれ。真実《まこと》、たって御不承知か。」
「臙脂屋を捻り潰《つぶ》しなさらねばなりますまいがノ。貴殿の御存じ寄り通りになるものとのみ、それがしを御見積りは御無体でござる。」
「ム」
「申した通り、此事は此事、左京一分の事。我等一党の事とは別の事にござる。」
「と云わるるは。扨《さて》は何
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