郎、御願い申す。」
「貴志ノ[#「ノ」は小書き]余一郎、御願い申す。」
「宮崎剛蔵……」
「安見宅摩も御願い申す。」
と渋い声、砂利声、がさつ声、尖《とが》り声、いろいろの声で巻き立って頼み立てた。そして人々の頭は木沢の答のあるまでは上げられなかった。丹下はむずむずしきった。無論遊佐の見じろぎの様子一ツで立上るつもりである。
「遊佐殿も方々も御手あげられて下されい。丹下右膳殿御申出通りに計らい申しましょう。」
 人々は皆明るい顔を上げた。右膳は取分け晴れやかな、花の咲いたような顔をした。臙脂屋の悦《よろこ》んだのはもとよりだつたが、遊佐河内守は何事も無かったような顔であった。そして忽《たちま》ちに臙脂屋に対《むか》って、
「臙脂屋殿。」
と殿づけにして呼びかけた。臙脂屋は
「ハ」
と恐縮して応ずると、
「只今聞かるる通り。就ては此方より人を差添え遣わす。貴志ノ余一郎殿、安見宅摩殿、臙脂屋と御取合下されて、万事宜敷御運び下されい。ただし事皆世上には知られぬよう、臙脂屋のためにも此方のためにも、十二分に御斟酌《ごしんしゃく》あられい。ハテ、心地よい。木沢殿、事すでにすべて成就も同様、故管領御家再興も眼に見えてござるぞ。」
というと、人々皆勇み立ち悦ぶ。
「損得にはそれがしも引廻されてござるかナ。」
と自ら疑うように又自ら歎《たん》ずるように、木沢は室《へや》の一隅を睨《にら》んだ。


 其後|幾日《いくか》も無くて、河内の平野の城へ突として夜打がかかった。城将桃井兵庫、客将一色|何某《なにがし》は打って取られ、城は遊佐河内守等の拠るところとなった。其一党は日に勢を増して、漸《ようや》く旧威を揮《ふる》い、大和に潜んで居た畠山尚慶を迎えて之を守立て、河内の高屋《たかや》に城を構えて本拠とし、遂に尚慶をして相当に其大を成さしむるに至った。平野の城が落ちた夜と同じ夜に、誰がしたことだか分らなかったが、臙脂屋の内に首が投込まれた。京の公卿方《くげがた》の者で、それは学問諸芸を堺の有徳の町人の間に日頃教えていた者だったということが知られた。



底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館
   1989(平成元)年4月1日初版第1刷
底本の親本:「露伴全集」岩波書店
   1978(昭和53)年
入力:kompass
校正:今井忠夫
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全17ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング