ざりますまいか。」
「おもしろい。されば愈々《いよいよ》損得に引廻わされぬ者を世間の心《しん》にせねばならぬ。」
「ところが、見す見す敗《ま》けるという方に附く者は今の世――何時の世にも少いでござりましょう。されば損得に引廻されないような大将の方に旗の数が多くなろう理は先ず以て無いことでござれば、そこで世の中は面倒なのでござる。」
「癪に触る。損得勘定のみに賢い奴等、かたッぱしからたたき切るほかは無い。」
「しかし、申しては憚《はばか》りあることでござれど」
と声を落して、粛然として、
「正覚寺の、さきだっての戦《いくさ》の如く、桃井、京極、山名、一色殿等の上に細川殿まで首《しゅ》となって、敵勢の四万、味方は二三千とあっては、如何《いかに》とも致し方無く、公方、管領の御職位、御権威は有っても遂に是非なく、たたき切ろうにも力及ばず、公方は囚《とら》われ、管領は御自害、律儀者の損得かまわずは、世を思切って、僧になって了休となるような始末、彼などは全く損得の沖を越えたものでござる。人柄はまことになつかしいものでござるが、世捨人入道雲水ばかり出来ても善人が世に減る道理。又管領殿御臣下も多人数御切腹あり、武士の行儀はそれにて宜敷けれど、世間より申せば、義によって御腹召すほどの善い方々が、それだけ世間に減った道理。そういうことで世間の行末が好くなって行こう理窟はござらぬ。これは何としても世間一体を良くしようという考え方に向わねば、何時迄経っても鑓《やり》刀《かたな》、修羅の苦患《くげん》を免れる時は来ないと存じまする。」
主人は公方や管領の上を語るのを聞いている中《うち》に、やや激したのであろう、にッたりと緩めて居た顔つきは稍々《やや》引緊《ひきしま》って硬《こわ》ばって来たが、それを打消そうと力《つと》むるのか、裏の枯れたような高笑い、
「ハッハッハ。其通り。了休がまだ在俗の時、何処からか教えられてまいったことであろうが、二ツの泥づくりの牛が必死に闘いながら海へ入って了う、それが此世の様《さま》だと申居った。泥牛、泥人形、みんな泥牛、泥人形。世間一体を良くしようなどと心底から思うものが何処にござろう。又|仮令《たとい》然様《そう》思う者が有ったにしても、何様《どう》すれば世間が良くなるか、其様な道を知っているものが何処にござろう。道が分らぬから術《て》を求める。術を以て先ず
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