「口へん」に代えて「けものへん」、第3水準1−87−75]猊《さんげい》か何かの、黄金色《きん》だの翠色《みどり》だのの美しく綺《いろ》え造られたものだった。畳に置かれた白々《しろじろ》とした紙の上に、小さな宝玩《ほうがん》は其の貴い輝きを煥発《かんぱつ》した。女は其前に平伏《ひれふ》していた。
「チュッ、チュッ、チュ、チュ」
雀の声が一霎時《いちしょうじ》の閑寂の中《うち》に投入れられた。
下
舳《へ》の松村の村はずれ、九本松《くほんまつ》という俚称《りしょう》は辛く残りながら、樹々は老い枯《から》び痩《や》せかじけて将《まさ》に齢《よわい》尽きんとし、或は半ば削《そ》げ、或は倒れかかりて、人の愛護の手に遠ざかれるものの、自然の風残雪虐に堪えかねたる哀しき姿を現わしたる其の端に、昔は立派でも有ったろうが、今は不幸な家運を語る証拠物のように遺っているに過ぎぬというべき一軒屋の、ほかには母屋を離れて立腐れになりたる破れ厩《まや》、屋根の端の斜に地に着きて倒れ潰《つぶ》れたる細長き穀倉などの見ゆるのみの荒廃さ加減は、恐らくは怨霊《おんりょう》屋敷なんど呼ばれて人住まずなった月日が、既に四五年以上も経たものであろう。それでも、だだ広い其の母屋の中《うち》の広座敷の、古畳の寄せ集め敷《じき》、隙間もあれば凸凹《たかひく》もあり、下手の板戸は立附が悪くなって二寸も裾があき、頭があき、上手の襖《ふすま》は引手が脱《ぬ》けて、妖魔《ようま》の眼のように※[#「穴/目、第3水準1−89−50]然《ようぜん》と奥の方《かた》の灰暗《ほのぐら》さを湛《たた》えている其中に、主客の座を分って安らかに対座している二人がある。客はあたたかげな焦茶の小袖《こそで》ふくよかなのを着て、同じ色の少し浅い肩衣《かたぎぬ》の幅細なのと、同じ袴《はかま》。慇懃《いんぎん》なる物ごし、福々しい笑顔。それに引かえて主人《あるじ》は萎《な》え汚れて黒ばめる衣裳を、流石《さすが》に寒げに着てこそは居ないが、身の痩《やせ》の知らるる怒り肩は稜々《りょうりょう》として、巌骨《がんこつ》霜を帯びて屹然《きつぜん》として聳《そび》ゆるが如く、凜《りん》として居丈高に坐った風情は、容易に傍《そば》近く寄り難いありさまである。然し其姿勢にも似ず、顔だけは不思議にもにッたりと笑を含んで、眼にも嶮《けわ》しい光は
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