、頭上から三角なりに被《かぶ》って来たが、今しも天《そら》を仰いで三四歩ゆるりと歩いた後に、いよいよ雪は断れるナと判じたのだろう、
「エーッ」
と、それを道の左の広みの方へかなぐり捨てざまに抛《ほう》って了った。如何にも其様《そん》な悪びれた小汚い物を暫時にせよ被《き》ていたのが癇《かん》に触るので、其物に感謝の代りに怒喝を加えて抛《なげ》棄《す》てて気を宜《よ》くしたのであろう。もっとも初から捨てさせるつもりで何処ぞで呉れ、捨てるつもりで被て来たには相違無いわびしいものであった。
 少し速足になった。雪はもとよりべた雪だった。ト、下駄の歯の間に溜《たま》った雪に足を取られて、ほとほと顛《ころ》びそうになった。が、素捷《すばや》い身のこなし、足の踏立変《ふみたてが》えの巧さで、二三歩泳ぎはしたが、しゃんと踏止まった。
「エーッ」
 今度は自分の不覚を自分で叱る意で毒喝したのである。余程|肚《はら》の中がむしゃくしゃして居て、悪気が噴出したがっていたのであろう。
 叱咤《しった》したとて雪は脱《と》れはしない、益々固くなって歯の間に居しこるばかりだった。そこで、ふと見ると小溝の上に小さな板橋とおぼしいのが渡っているのが見えたので、其板橋の堅さを仮りてと橋の上にかかったが、板橋では無くて、柴橋に置土をした風雅のものだったのが一ト[#「ト」は小書き]踏で覚り知られた。これではいけぬと思うより早く橋を渡り越して其突当りの小門の裾板に下駄を打当てた。乱暴ではあるが構いはしなかった。
「トン、トン、トン」
 蹴《け》着《つ》けるに伴なって雪は巧く脱《ぬ》けて落ちた。左足の方は済んだ。今度は右のをと、左足を少し引いて、又
「トン、トン」
と、蹴つけた。ト、漸《ようや》くに雪のしっかり嵌《はま》り込んだのが脱けた途端に、音も無く門は片開きに開いた。開くにつれて中の雪がほの白く眼に映った。男はさすがにギョッとしない訳にはゆかなかった。
 が、逃げもしなかった、口も利かなかった。身体は其儘《そのまま》、不意に出あっても、心中は早くも立直ったのだ。自分の方では何とすることもせず、先方の出を見るのみに其瞬間は埋められたのであった。然し先方は何のこだわりも無く、身を此方へ近づけると同時に、何の言葉も無く手をさしのべて、男の手を探り取ってやさしく握って中へ引入れんとした。触った其手は暖かであっ
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