幸田露伴

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)味《あじはひ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)神味|頓《とみ》に加はりて、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「さけのとり+囚+皿」、第3水準1−92−88、19−2]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)いよ/\
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 一切の味《あぢはひ》は水を藉《か》らざれば其の味を発する能はず。人若し口の渇くこと甚しくして舌の燥《かわ》くこと急なれば、熊の掌《たなそこ》も魚の腴《あぶらみ》も、それ何かあらん。味は唾液の之を解き之を親ましむるによつて人の感ずるところとなるのみ。唾液にして存せざれば、五味もまた無用のものたらん。唾液は水なり、ムチンの存在によつて粘《ねば》きも、其実は弱アルカリ性の水にして、酵素のプチアリンを含めるのみ。此中プチアリンは消化作用の一助をなすに止まり、ムチンは蓋し外物の強烈の刺激を緩和する為に存せりと覚しく、味を解きて人に伝ふるものは、実に水の力なり。体内の水の用|是《かく》の如し。而して身外の水も亦、味を解きて人に伝ふるの大作用をなす。譬へば青黄赤黒の色も畢竟水の力を得て素《しろ》を染むるが如し。水無ければ、絢爛の美、錦繍の文《あや》、竟《つひ》に成らざるなり。こゝに於て善く染むるものは水を論じ、善く味はふものは水を品す。蜀の錦の名あるは、蜀の水の染むるに宜しければなり。加茂の水ありて、京染の名は流るゝなり。染むる者の水に藉《よ》るも亦大なりといふべし。而して味の水に藉る、亦いよ/\大なり。
 中に就て酒と茶とは殊に水の力に藉る。酒は水に因つて体を成し、茶は水に縁《よ》つて用を発す。灘の酒は実に醸※[#「さけのとり+囚+皿」、第3水準1−92−88、19−2]の技の巧を積み精を極むるによつて成ると雖《いへども》、其の佳水を得るによつて、天下に冠たるに至れるもまた争ふべからず。醸家の水を貴び水を愛し水を重んじ水を吝《をし》む、まことに所以《ゆゑ》ある也。剣工の剣を鍛ひて之を※[#「火+卒」、第3水準1−87−47、19−4]《さい》するや、水悪ければ即ち敗る。醸家の酒を醸す、法あり技あり材あり具あ
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