ら、種善院様其他の墓参等は毫も御怠りなさること無く、また仏法を御信心でしたから、開帳などのある時は御出かけになり、柴又の帝釈あたりなどへも折々御出でになる。其時に自分は連れて往って頂く、これはまあ折々の一つの楽みであったのです。其他に慰みとか楽みとかいって玩弄物《おもちゃ》を買うて貰うようなことは余り無かったが、然し独楽と紙鳶とだけは大好きであっただけそれ丈上手でした。併し独楽は下劣の児童等《こどもら》と独楽あてを仕て遊ぶのが宜くないというので、余り玩び得なかったでした。紙鳶は他の子供が二枚も三枚も破り棄てて仕舞う間に自分は一枚の紙鳶を満足に※[#「風にょう+昜」、第3水準1−94−7]《あ》げて遊んで居た程でした。これは紙鳶を破るような拙なことを仕無いのと、一つは破れた紙鳶でも繕うことが上手であったからで、今でも私の手にかければ何様な紙鳶でも非常に良い紙鳶に仕て見せます、ハハハ。で、糸目の着加減を両かしぎというのにして、右へでも左へでも何方へでも遣りたいと思う方へ紙鳶が傾くように仕た上、近傍に紙鳶が揚って居ると其奴に引からめて敵の紙鳶を分捕って仕舞うので、左様甘く往くことばかりは無か
前へ
次へ
全16ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング