《うち》にいよいよ不平は懐《いだ》けど露塵《つゆちり》ほども外には出さず、義理の挨拶《あいさつ》見事に済ましてすぐその足を感応寺に向け、上人のお目通り願い、一応|自己《おのれ》が隷属《みうち》の者の不埒《ふらち》をお謝罪《わび》し、わが家に帰りて、いざこれよりは鋭次に会い、その時清を押えくれたる礼をも演《の》べつその時の景状《ようす》をも聞きつ、また一ツにはさんざん清を罵《ののし》り叱って以後《こののち》わが家に出入り無用と云いつけくれんと立ち出でかけ、お吉のいぬを不審してどこへと問えば、どちらへかちょと行て来るとてお出でになりました、と何食わぬ顔で婢《おんな》の答え、口禁《くちど》めされてなりとは知らねば、おおそうか、よしよし、我《おれ》は火の玉の兄きがところへ遊びに行たとお吉帰らば云うておけ、と草履《ぞうり》つっかけ出合いがしら、胡麻竹《ごまだけ》の杖《つえ》とぼとぼと焼痕《やけこげ》のある提灯《ちょうちん》片手、老いの歩みの見る目笑止にへの字なりして此方《こち》へ来る婆《ばば》。おお清の母親《おふくろ》ではないか。あ、親方様でしたか、
其二十八
ああ好いところでお眼にかかりましたがどちらへかお出かけでござりまするか、と忙《せわ》しげに老婆《ばば》が問うに源太|軽《かろ》く会釈して、まあよいわ、遠慮せずと此方《こち》へはいりゃれ、わざわざ夜道を拾うて来たは何ぞ急の用か、聴いてあげよう、と立ち戻れば、ハイハイ、ありがとうござります、お出かけのところを済みません、御免下さいまし、ハイハイ、と云いながら後に随《つ》いて格子戸くぐり、寒かったろうによう出て来たの、あいにくお吉もいないで関《かま》うこともできぬが、縮こまっていずとずっと前へ進《で》て火にでもあたるがよい、と親切に云うてくるる源太が言葉にいよいよ身を堅くして縮こまり、お構い下さいましては恐れ入りまする、ハイハイ、懐炉を入れておりますればこれで恰好《かっこう》でござりまする、と意久地なく落ちかかる水涕《みずばな》を洲の立った半天の袖で拭《ふ》きながらはるか下って入口近きところに蹲《うずく》まり、何やら云い出したそうな素振り、源太早くも大方察して老婆《としより》の心の中さぞかしと気の毒さ堪《たま》らず、よけいなことし出《いだ》して我に肝煎《きもい》らせし清吉のお先走りを罵《ののし》り懲らして、当分出入りならぬ由云いに鋭次がところへ行かんとせし矢先であれど、視ればわが子を除いては阿弥陀《あみだ》様よりほかに親しい者もなかるべきか弱き婆のあわれにて、我《われ》清吉を突き放さば身は腰弱弓の弦《つる》に断《き》れられし心地して、在るに甲斐なき生命《いのち》ながらえんに張りもなく的もなくなり、どれほどか悲しみ歎いて多くもあらぬ余生を愚痴の涙《なんだ》の時雨《しぐれ》に暮らし、晴れ晴れとした気持のする日もなくて終ることならんと、思いやれば思いやるだけ憫然《ふびん》さの増し、煙草|捻《ひね》ってつい居るに、婆《ばば》は少しくにじり出で、夜分まいりましてまことに済みませんが、あの少しお願い申したいわけのござりまして、ハイハイ、もう御存知でもござりましょうがあの清吉めがとんだことをいたしましたそうで、ハイハイ、鉄五郎様から大概は聞きましたが、平常《ふだん》からして気の逸《はや》い奴《やつ》で、じきに打《ぶ》つの斫《き》るのと騒ぎましてそのたびにひやひやさせまする、お蔭《かげ》さまで一人前にはなっておりましてもまだ児童《がき》のような真一酷《まいっこく》、悪いことや曲ったことは決してしませぬが取り上《のぼ》せては分別のなくなる困った奴《やっこ》で、ハイハイ、悪気は夢さらない奴《やつ》でござります、ハイハイそれは御存知で、ハイありがとうござります、どういう筋で喧嘩をいたしましたか知りませぬが大それた手斧《ちょうな》なんぞを振り舞わしましたそうで、そうききました時は私が手斧で斫られたような心持がいたしました、め組の親分とやらが幸い抱き留めて下されましたとか、まあせめてもでござります、相手が死にでもしましたら彼《あれ》めは下手人、わたくしは彼を亡くして生きて居る瀬はござりませぬ、ハイありがとうござります、彼めが幼少《ちいさい》ときはひどい虫持で苦労をさせられましたも大抵ではござりませぬ、ようやく中山の鬼子母神様の御利益《ごりやく》で満足には育ちましたが、癒《なお》りましたら七歳《ななつ》までにお庭の土を踏ませましょうと申しておきながら、ついなにかにかまけてお礼参りもいたさせなかったその御罰か、丈夫にはなりましたがあの通りの無鉄砲、毎々お世話をかけまする、今日も今日とて鉄五郎様がこれこれと掻《か》い摘《つま》んで話されました時の私のびっくり、刃物を準備《ようい》までしてと聞いた時には、ええまたかと思わずどっきり胸も裂けそうになりました、め組の親分様とかが預かって下されたとあれば安心のようなものの、清めは怪我はいたしませぬかと聞けば鉄様の曖昧《あいまい》な返辞、別条はない案じるなと云わるるだけになお案ぜられ、その親分の家を尋ぬれば、そこへ汝《おまえ》が行ったがよいか行かぬがよいか我《おれ》には分らぬ、ともかくも親方様のところへ伺って見ろと云いっ放しで帰ってしまわれ、なおなお胸がしくしく痛んでいても起っても居られませねば、留守を隣家《となり》の傘張りに頼んでようやく参りました、どうかめ組の親分とやらの家を教えて下さいまし、ハイハイすぐにまいりまするつもりで、どんな態《ざま》しておりまするか、もしやかえって大怪我などして居るのではござりますまいか、よいものならば早う逢《あ》って安堵《あんど》しとうござりまするし喧嘩の模様も聞きとうござりまする、大丈夫曲ったことはよもやいたすまいと思うておりまするが若い者のこと、ひょっと筋の違った意趣ででもしたわけなら、相手の十兵衛様にまずこの婆が一生懸命で謝罪り、婆はたといどうされても惜しくない老耄《おいぼれ》、生先《おいさき》の長い彼めが人様に恨まれるようなことのないようにせねばなりませぬ、とおろおろ涙になっての話し。始終を知らで一[#(ト)]筋にわが子をおもう老いの繰言、この返答には源太こまりぬ。
其二十九
八五郎そこに居るか、誰か来たようだ明けてやれ、と云われて、なんだ不思議な、女らしいぞと口の中《うち》で独語《つぶやき》ながら、誰だ女嫌いの親分のところへ今ごろ来るのは、さあはいりな、とがらりと戸を引き退《の》くれば、八ッさんお世話、と軽い挨拶、提灯吹き滅《け》して頭巾を脱ぎにかかるは、この盆にもこの正月にも心付けしてくれたお吉と気がついて八五郎めんくらい、素肌に一枚どてらの袵《まえ》広がって鼠色《ねずみ》になりしふんどしの見ゆるを急に押し隠しなどしつ、親分、なんの、あの、なんの姉御だ、と忙《せわ》しく奥へ声をかくるに、なんの尽しで分る江戸ッ児。おおそうか、お吉来たの、よく来た、まあそこらの塵埃《ごみ》のなさそうなところへ坐ってくれ、油虫が這《は》って行くから用心しな、野郎ばかりの家は不潔《きたない》のが粧飾《みえ》だから仕方がない、我《おれ》も汝《おまえ》のような好い嚊《かか》でも持ったら清潔《きれい》にしようよ、アハハハと笑えばお吉も笑いながら、そうしたらまた不潔不潔と厳しくお叱《いじ》めなさるか知れぬ、と互いに二ツ三ツ冗話《むだばな》しして後、お吉少しく改まり、清吉は眠《ね》ておりまするか、どういう様子か見てもやりたし、心にかかれば参りました、と云えば鋭次も打ち頷《うなず》き、清は今がたすやすや睡《ね》ついて起きそうにもない容態じゃが、疵《きず》というて別にあるでもなし頭の顱骨《さら》を打ち破《わ》ったわけでもなければ、整骨医師《ほねつぎいしゃ》の先刻《さっき》云うには、ひどく逆上したところを滅茶滅茶に撲《う》たれたため一時は気絶までもしたれ、保証《うけあい》大したことはない由、見たくばちょっと覗《のぞ》いて見よ、と先に立って導く後につき行くお吉、三畳ばかりの部屋の中に一切夢で眠り居る清吉を見るに、顔も頭も膨《は》れ上りて、このように撲《う》ってなしたる鋭次の酷《むご》さが恨めしきまで可憫《あわれ》なる態《さま》なれど、済んだことの是非もなく、座に戻って鋭次に対《むか》い、我夫《うち》では必ず清吉がよけいな手出しに腹を立ち、お上人様やら十兵衛への義理をかねて酷く叱るか出入りを禁《と》むるか何とかするでござりましょうが、元はといえば清吉が自分の意恨でしたではなし、つまりは此方《こち》のことのため、筋の違った腹立ちをついむらむらとしたのみなれば、妾《わたし》はどうも我夫のするばかりを見て居るわけには行かず、ことさら少しわけあって妾がどうとかしてやらねばこの胸の済まぬ仕誼《しぎ》もあり、それやこれやをいろいろと案じた末に浮んだは一年か半年ほど清吉に此地《こち》退《の》かすること、人の噂も遠のいて我夫の機嫌も治《なお》ったら取り成しようは幾らもあり、まずそれまでは上方あたりに遊んで居るようしてやりたく、路用の金も調《こしら》えて来ましたれば少しなれどもお預け申しまする、どうぞよろしく云い含めて清吉めに与《や》って下さりませ、我夫はあの通り表裏のない人、腹の底にはどう思っても必ず辛く清吉に一旦あたるに違いなく、未練げなしに叱りましょうが、その時何と清吉がたとい云うても取り上げぬは知れたこと、傍から妾が口を出しても義理は義理なりゃしようはなし、さりとて欲でしでかした咎《とが》でもないに男一人の寄りつく島もないようにして知らぬ顔ではどうしても妾が居られませぬ、彼《あれ》が一人の母のことは彼さえいねば我夫にも話して扶助《たすく》るに厭は云わせまじく、また厭というような分らぬことを云いもしますまいなれば掛念《けねん》はなけれど、妾が今夜来たことやら蔭《かげ》で清をばいたわることは、我夫へは当分|秘密《ないしょ》にして。わかった、えらい、もう用はなかろう、お帰りお帰り、源太が大抵来るかも知れぬ、撞見《でっくわ》しては拙《まず》かろう、と愛想はなけれど真実はある言葉に、お吉|嬉《うれ》しく頼みおきて帰れば、その後へ引きちがえて来る源太、はたして清吉に、出入りを禁《と》むる師弟の縁|断《き》るとの言い渡し。鋭次は笑って黙り、清吉は泣いて詫びしが、その夜源太の帰りしあと、清吉鋭次にまた泣かせられて、狗《いぬ》になっても我ゃ姉御夫婦の門辺は去らぬと唸《うな》りける。
四五日過ぎて清吉は八五郎に送られ、箱根の温泉《いでゆ》を志して江戸を出でしが、それよりたどる東海道いたるは京か大阪の、夢はいつでも東都《あずま》なるべし。
其三十
十兵衛傷を負うて帰ったる翌朝、平生《いつも》のごとく夙《と》く起き出づればお浪驚いて急にとどめ、まあ滅相な、ゆるりと臥《やす》んでおいでなされおいでなされ、今日は取りわけ朝風の冷たいに破傷風にでもなったら何となさる、どうか臥んでいて下され、お湯ももうじき沸きましょうほどに含嗽手水《うがいちょうず》もそこで妾がさせてあげましょう、と破れ土竈《べっつい》にかけたる羽虧《はか》け釜《がま》の下|焚《た》きつけながら気を揉《も》んで云えど、一向平気の十兵衛笑って、病人あしらいにされるまでのことはない、手拭だけを絞ってもらえば顔も一人で洗うたが好い気持じゃ、と箍《たが》の緩《ゆる》みし小盥《こだらい》にみずから水を汲み取りて、別段悩める容態《ようす》もなく平日《ふだん》のごとく振舞えば、お浪は呆《あき》れかつ案ずるに、のっそり少しも頓着《とんじゃく》せず朝食《あさめし》終《しも》うて立ち上り、いきなり衣物を脱ぎ捨てて股引《ももひき》腹掛け着けにかかるを、とんでもないことどこへ行かるる、何ほど仕事の大事じゃとて昨日の今日は疵口の合いもすまいし痛みも去るまじ、じっとしていよ身体を使うな、仔細はなけれど治癒《なお》るまでは万般《よろず》要慎《つつしみ》第一と云われたお医者様の言葉さえあるに、無理|圧《お》しして感
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