》とり出《いだ》し、銀ほど光れる長五徳《ながごとく》を磨《みが》きおとし[#「おとし」に傍点]を拭《ふ》き銅壺《どうこ》の蓋《ふた》まで奇麗にして、さて南部霰地《なんぶあられ》の大鉄瓶《おおてつびん》をちゃんとかけし後、石尊様詣りのついでに箱根へ寄って来しものが姉御《あねご》へ御土産《おみや》とくれたらしき寄木細工の小繊麗《こぎよう》なる煙草箱《たばこばこ》を、右の手に持った鼈甲管《べっこうらお》の煙管《きせる》で引き寄せ、長閑《のどか》に一服吸うて線香の煙るように緩々《ゆるゆる》と煙りを噴《は》き出《いだ》し、思わず知らず太息《ためいき》吐《つ》いて、多分は良人《うち》の手に入るであろうが憎いのっそり[#「のっそり」に傍点]めが対《むこ》うへ廻《まわ》り、去年使うてやった恩も忘れ上人様に胡麻摺《ごます》り込んで、たってこん度の仕事をしょうと身の分も知らずに願いを上げたとやら、清吉《せいきち》の話しでは上人様に依怙贔屓《えこひいき》のお情《こころ》はあっても、名さえ響かぬのっそりに大切《だいじ》の仕事を任せらるることは檀家方の手前寄進者方の手前もむつかしかろうなれば、大丈夫|此方《こち》に命《いいつ》けらるるにきまったこと、よしまたのっそりに命けらるればとて彼奴《あれめ》にできる仕事でもなく、彼奴の下に立って働く者もあるまいなれば見事でかし損ずるは眼に見えたこととのよしなれど、早く良人《うちのひと》がいよいよ御用|命《いいつ》かったと笑い顔して帰って来られればよい、類の少い仕事だけに是非して見たい受け合って見たい、欲徳はどうでも関《かま》わぬ、谷中感応寺《やなかかんおうじ》の五重塔は川越《かわごえ》の源太《げんた》が作りおった、ああよくでかした感心なと云われて見たいと面白がって、いつになく職業《しょうばい》に気のはずみを打って居らるるに、もしこの仕事を他《ひと》に奪《と》られたらどのように腹を立てらるるか肝癪《かんしゃく》を起さるるか知れず、それも道理であって見れば傍《わき》から妾《わたし》の慰めようもないわけ、ああなんにせよめでとう早く帰って来られればよいと、口には出さねど女房気質、今朝|背面《うしろ》からわが縫いし羽織打ち掛け着せて出したる男の上を気遣うところへ、表の骨太格子《ほねぶとごうし》手あらく開《あ》けて、姉御、兄貴は、なに感応寺へ、仕方がない、それでは
前へ 次へ
全72ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング