にら》めば天《そら》は五月《さつき》の闇より黒く、たゞ囂※[#二の字点、1−2−22]《がう/\》たる風の音のみ宇宙に充て物騒がしく、さしも堅固の塔なれど虚空に高く聳えたれば、どう/\どつと風の来る度ゆらめき動きて、荒浪の上に揉まるゝ棚無し小舟のあはや傾覆らむ風情、流石覚悟を極めたりしも又今更におもはれて、一期の大事死生の岐路《ちまた》と八万四千の身の毛|竪《よだ》たせ牙|咬定《かみし》めて眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》り、いざ其時はと手にして来し六分|鑿《のみ》の柄忘るゝばかり引握むでぞ、天命を静かに待つとも知るや知らずや、風雨いとはず塔の周囲《めぐり》を幾度となく徘徊する、怪しの男一人ありけり。

       其三十五

 去る日の暴風雨は我等生れてから以来《このかた》第一の騒なりしと、常は何事に逢ふても二十年前三十年前にありし例をひき出して古きを大袈裟に、新しきを訳も無く云ひ消す気質《かたぎ》の老人《としより》さへ、真底我折つて噂仕合へば、まして天変地異をおもしろづくで談話《はなし》の種子にするやうの剽軽な若い人は分別も無く、後腹の疾まぬを幸ひ、何処の火の見が壊れたり彼処の二階が吹き飛ばされたりと、他《ひと》の憂ひ災難を我が茶受とし、醜態《ざま》を見よ馬鹿慾から芝居の金主して何某め痛い目に逢ふたるなるべし、さても笑止彼の小屋の潰れ方はよ、又日頃より小面憎かりし横町の生花の宗匠が二階、御神楽だけの事はありしも気味《きび》よし、それよりは江戸で一二といはるゝ大寺の脆く倒れたも仔細こそあれ、実は檀徒から多分の寄附金集めながら役僧の私曲《わたくし》、受負師の手品、そこにはそこの有りし由、察するに本堂の彼の太い柱も桶でがな有つたらうなんどと様※[#二の字点、1−2−22]の沙汰に及びけるが、いづれも感応寺生雲塔の釘一本ゆるまず板一枚剥がれざりしには舌を巻きて讚歎し、いや彼塔《あれ》を作つた十兵衞といふは何とえらいものではござらぬ歟、彼塔倒れたら生きては居ぬ覚悟であつたさうな、すでの事に鑿|啣《ふく》んで十六間真逆しまに飛ぶところ、欄干《てすり》を斯う踏み、風雨を睨んで彼程の大揉の中に泰然《ぢつ》と構へて居たといふが、其一念でも破壊るまい、風の神も大方血眼で睨まれては遠慮が出たであらう歟、甚五郎このかたの名人ぢや真の棟梁ぢや、浅草のも芝のもそれ/″\損じのあつたに一寸一分歪みもせず退《ず》りもせぬとは能う造つた事の。いやそれについて話しのある、其十兵衞といふ男の親分がまた滅法えらいもので、若しも些《ちと》なり破壊れでもしたら同職《なかま》の恥辱知合の面汚し、汝《うぬ》はそれでも生きて居られうかと、到底《とても》再度鉄槌も手斧も握る事の出来ぬほど引叱つて、武士で云はば詰腹同様の目に逢はせうと、ぐる/\/\大雨を浴びながら塔の周囲を巡つて居たさうな。いや/\、それは間違ひ、親分では無い商売|上敵《がたき》ぢやさうな、と我れ知り顔に語り伝へぬ。
 暴風雨のために準備《したく》狂ひし落成式もいよ/\済みし日、上人わざ/\源太を召《よ》び玉ひて十兵衞と共に塔に上られ、心あつて雛僧《こぞう》に持たせられし御筆に墨汁《すみ》したゝか含ませ、我此塔に銘じて得させむ、十兵衞も見よ源太も見よと宣《のたま》ひつゝ、江都《かうと》の住人十兵衞之を造り川越源太郎之を成す、年月日とぞ筆太に記し了られ、満面に笑を湛へて振り顧り玉へば、両人ともに言葉なくたゞ平伏《ひれふ》して拝謝《をが》みけるが、それより宝塔|長《とこしな》へに天に聳えて、西より瞻《み》れば飛檐《ひえん》或時素月を吐き、東より望めば勾欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚《はなし》は活きて遺りける。
[#地から2字上げ](明治二十四年十一月―二十五年三月・四月「国会」)



底本:「日本現代文學全集 6 幸田露伴集」講談社
   1963(昭和38)年1月19日初版第1刷発行
   1980(昭和55)年5月26日増補改訂版第1刷
初出:「国会新聞」
   1891(明治24)年11月〜1892(明治25)年4月
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字、旧仮名にあらためました。
入力:kompass
校正:浅原庸子
2004年11月3日作成
2009年7月29日修正
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