《ほ》れ、此処を何様して何様やつて其処に是だけ勾配有たせよ、孕みが何寸凹みが何分と口でも知らせ墨縄《なは》でも云はせ、面倒なるは板片に矩尺の仕様を書いても示し、鵜の目鷹の目油断無く必死となりて自ら励み、今しも一人の若佼《わかもの》に彫物の画を描き与らんと余念も無しに居しところへ、野猪《ゐのしゝ》よりも尚疾く塵土《ほこり》を蹴立てゝ飛び来し清吉。
忿怒の面火玉の如くし逆釣つたる目を一段視開き、畜生、のつそり、くたばれ、と大喝すれば十兵衞驚き、振り向く途端に驀向《まつかう》より岩も裂けよと打下すは、ぎら/\するまで※[#「石+刑」、第3水準1−89−2]ぎ澄ませし釿を縦に其柄にすげたる大工に取つての刀なれば、何かは堪らむ避くる間足らず左の耳を殺ぎ落され肩先少し切り割かれしが、仕損じたりと又|蹈込《ふんご》んで打つを逃げつゝ、抛げ付くる釘箱才槌墨壺|矩尺《かねざし》、利器《えもの》の無さに防ぐ術なく、身を翻へして退く機《はずみ》に足を突込む道具箱、ぐざと踏み貫く五寸釘、思はず転ぶを得たりやと笠にかゝつて清吉が振り冠つたる釿の刃先に夕日の光の閃《きら》りと宿つて空に知られぬ電光《いなづま》の、疾しや遅しや其時此時、背面《うしろ》の方に乳虎《にうこ》一声、馬鹿め、と叫ぶ男あつて二間丸太に論も無く両臑《もろずね》脆く薙《な》ぎ倒せば、倒れて益※[#二の字点、1−2−22]怒る清吉、忽ち勃然《むつく》と起きんとする襟元|把《と》つて、やい我《おれ》だは、血迷ふな此馬鹿め、と何の苦も無く釿もぎ取り捨てながら上からぬつと出す顔は、八方睨みの大眼《おほまなこ》、一文字口怒り鼻、渦巻縮れの両鬢は不動を欺くばかりの相形。
やあ火の玉の親分か、訳がある、打捨つて置いて呉れ、と力を限り払ひ除けむと※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》き焦燥《あせ》るを、栄螺《さゞえ》の如き拳固で鎮圧《しづ》め、ゑゝ、じたばたすれば拳殺《はりころ》すぞ、馬鹿め。親分、情無い、此所を此所を放して呉れ。馬鹿め。ゑゝ分らねへ、親分、彼奴を活しては置かれねへのだ。馬鹿野郎め、べそをかくのか、従順く仕なければ尚《まだ》打つぞ。親分酷い。馬鹿め、やかましいは、拳殺すぞ。あんまり分らねへ、親分。馬鹿め、それ打つぞ。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親分。馬鹿め。放して。馬鹿め。親。馬鹿め。放《はな》。馬鹿め。お。馬鹿め馬鹿め/\/\、醜態《ざま》を見ろ、従順くなつたらう、野郎我の家へ来い、やい何様した、野郎、やあ此奴は死んだな、詰らなく弱い奴だな、やあい、誰奴《どいつ》か来い、肝心の時は逃げ出して今頃十兵衞が周囲に蟻のやうに群《たか》つて何の役に立つ、馬鹿ども、此方には亡者が出来かゝつて居るのだ、鈍遅《どぢ》め、水でも汲んで来て打注《ぶつか》けて遣れい、落ちた耳を拾つて居る奴があるものか、白痴め、汲んで来たか、関ふことは無い、一時に手桶の水|不残《みんな》面へ打付《ぶつけ》ろ、此様野郎は脆く生るものだ、それ占めた、清吉ッ、確乎《しつかり》しろ、意地の無へ、どれ/\此奴は我が背負つて行つて遣らう、十兵衞が肩の疵は浅からうな、むゝ、よし/\、馬鹿ども左様なら。
其二十六
源太居るかと這入り来る鋭次を、お吉立ち上つて、おゝ親分さま、まあ/\此方へと誘へば、ずつと通つて火鉢の前に無遠慮の大胡坐かき、汲んで出さるゝ桜湯を半分ばかり飲み干してお吉の顔を視、面色《いろ》が悪いが何様かした歟、源太は何所ぞへ行つたの歟、定めし既《もう》聴たであらうが清吉めが詰らぬ事を仕出来しての、それ故一寸話があつて来たが、むゝ左様か、既十兵衞がところへ行つたと、ハヽヽ、敏捷《すばや》い/\、流石に源太だは、我の思案より先に身体が疾《とつく》に動いて居るなぞは頼母しい、なあにお吉心配する事は無い、十兵衞と御上人様に源太が謝罪《わび》をしてな、自分の示しが足らなかつたで手下《て》の奴が飛だ心得違ひを仕ました、幾重にも勘弁して下されと三ツ四ツ頭を下げれば済んで仕舞ふ事だは、案じ過しはいらぬもの、其でも先方《さき》が愚図※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]いへば正面《まとも》に源太が喧嘩を買つて破裂《ばれ》の始末をつければ可いさ、薄※[#二の字点、1−2−22]聴いた噂では十兵衞も耳朶の一ツや半分|斫《き》り奪られても恨まれぬ筈、随分清吉の軽躁行為《おつちよこちよい》も一寸をかしな可い洒落か知れぬ、ハヽヽ、然し憫然《かはいそ》に我の拳固を大分食つて吽※[#二の字点、1−2−22]《うん/\》苦しがつて居るばかりか、十兵衞を殺した後は何様始末が着くと我に云はれて漸く悟つたかして、噫悪かつた、逸り過ぎた間違つた事をした、親方に頭を下げさするやうな事をした歟|噫《あゝ》済
前へ
次へ
全34ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング