ら》衝き上がりて、汝十兵衞恩知らずめ、良人《うち》の心の広いのをよい事にして付上り、うま/\名を揚げ身を立るか、よし名の揚り身の立たば差詰礼にも来べき筈を、知らぬ顔して鼻高※[#二の字点、1−2−22]と其日※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]を送りくさる歟、余りに性質《ひと》の好過ぎたる良人《うち》も良人なら面憎きのつそりめもまたのつそりめと、折にふれては八重縦横に癇癪の虫跳ね廻らし、自己《おの》が小鬢の後毛上げても、ゑゝ焦つたいと罪の無き髪を掻きむしり、一文貰ひに乞食が来ても甲張り声に酷く謝絶りなどしけるが、或日源太が不在《るす》のところへ心易き医者道益といふ饒舌坊主遊びに来りて、四方八方《よもやま》の話の末、或人に連れられて過般《このあひだ》蓬莱屋へまゐりましたが、お傳といふ女からきゝました一分始終、いやどうも此方の棟梁は違つたもの、えらいもの、男児は左様あり度と感服いたしました、と御世辞半分何の気なしに云ひ出でし詞を、手繰つて其夜の仔細をきけば、知らずに居てさへ口惜しきに知つては重※[#二の字点、1−2−22]憎き十兵衞、お吉いよ/\腹を立ちぬ。

       其二十四

 清吉|汝《そなた》は腑甲斐無い、意地も察しも無い男、何故私には打明けて過般《こなひだ》の夜の始末をば今まで話して呉れ無かつた、私に聞かして気の毒と異《おつ》に遠慮をしたものか、余りといへば狭隘《けち》な根性、よしや仔細を聴たとてまさか私が狼狽《うろたへ》まはり動転するやうなことはせぬに、女と軽しめて何事も知らせずに置き隠し立して置く良人《うちのひと》の了簡は兎も角も、汝等《そなたたち》まで私を聾に盲目にして済して居るとは余りな仕打、また親方の腹の中がみす/\知れて居ながらに平気の平左で酒に浮かれ、女郎買の供するばかりが男の能でもあるまいに、長閑気《のんき》で斯して遊びに来るとは、清吉|汝《おまへ》もおめでたいの、平生《いつも》は不在《るす》でも飲ませるところだが今日は私は関へない、海苔一枚焼いて遣るも厭なら下らぬ世間咄しの相手するも虫が嫌ふ、飲みたくば勝手に台所へ行つて呑口ひねりや、談話が仕たくば猫でも相手に為るがよい、と何も知らぬ清吉、道益が帰りし跡へ偶然《ふと》行き合はせて散※[#二の字点、1−2−22]にお吉が不機嫌を浴せかけられ、訳も了らず驚きあきれて、へどもどなしつゝ段※[#二の字点、1−2−22]と様子を問へば、自己《おのれ》も知らずに今の今まで居し事なれど、聞けば成程何あつても堪忍《がまん》の成らぬのつそりの憎さ、生命と頼む我が親方に重※[#二の字点、1−2−22]恩を被た身をもつて無遠慮過ぎた十兵衞めが処置振り、飽まで親切真実の親方の顔蹈みつけたる憎さも憎し何して呉れう。
 ムヽ親方と十兵衞とは相撲にならぬ身分の差《ちが》ひ、のつそり相手に争つては夜光の璧《たま》を小礫《いしころ》に擲付《ぶつ》けるやうなものなれば、腹は十分立たれても分別強く堪へて堪へて、誰にも彼にも鬱憤を洩さず知らさず居らるゝなるべし、ゑゝ親方は情無い、他の奴は兎も角清吉だけには知らしても可さそうなものを、親方と十兵衞では此方が損、我とのつそりなら損は無い、よし、十兵衞め、たゞ置かうやと逸《はや》りきつたる鼻先思案。姉御、知らぬ中は是非が無い、堪忍して下され、様子知つては憚りながら既叱られては居りますまい、此清吉が女郎買の供するばかりを能の野郎か野郎で無いか見て居て下され、左様ならば、と後声《しりごゑ》烈しく云ひ捨て格子戸がらり明つ放し、草履も穿かず後も見ず風より疾く駆け去れば、お吉今さら気遣はしくつゞいて追掛け呼びとむる二[#(タ)]声三声、四声めには既《はや》影さへも見えずなつたり。

       其二十五

 材《き》を釿《はつ》る斧《よき》の音、板削る鉋の音、孔を鑿《ほ》るやら釘打つやら丁※[#二の字点、1−2−22]かち/\響忙しく、木片《こつぱ》は飛んで疾風に木の葉の飜へるが如く、鋸屑《おがくづ》舞つて晴天に雪の降る感応寺境内普請場の景況《ありさま》賑やかに、紺の腹掛頸筋に喰ひ込むやうなを懸けて小胯の切り上がつた股引いなせに、つつかけ草履の勇み姿、さも怜悧気に働くもあり、汚れ手拭肩にして日当りの好き場所に蹲踞み、悠※[#二の字点、1−2−22]然と鑿を※[#「石+刑」、第3水準1−89−2]《と》ぐ衣服《なり》の垢穢《きたな》き爺もあり、道具捜しにまごつく小童《わつぱ》、頻りに木を挽割《ひく》日傭取り、人さま/″\の骨折り気遣ひ、汗かき息張る其中に、総棟梁ののつそり十兵衞、皆の仕事を監督《みまは》りかた/″\、墨壺墨さし矩尺《かね》もつて胸三寸にある切組を実物にする指図|命令《いひつけ》。斯様《かう》截《き》れ彼様《あゝ》穿
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