えるは嫌《きらひ》ぢや、矮小《けち》な下草《したぐさ》になつて枯れもせう大樹《おほき》を頼まば肥料《こやし》にもならうが、たゞ寄生木になつて高く止まる奴等を日頃いくらも見ては卑い奴めと心中で蔑視《みさ》げて居たに、今我が自然親方の情に甘へて其になるのは如何あつても小恥しうてなりきれぬは、いつその事に親方の指揮のとほり此を削れ彼《あれ》を挽き割れと使はるゝなら嬉しけれど、なまじ情が却つて悲しい、汝も定めて解らぬ奴と恨みもせうが堪忍して呉れ、ゑゝ是非がない、解らぬところが十兵衞だ、此所がのつそりだ、馬鹿だ、白痴漢《たはけ》だ、何と云はれても仕方は無いは、あゝッ火も小くなつて寒うなつた、もう/\寝てでも仕舞はうよ、と聴けば一※[#二の字点、1−2−22]道理の述懐。お浪もかへす言葉なく無言となれば、尚寒き一室《ひとま》を照せる行燈も灯花《ちやうじ》に暗うなりにけり。

       其十九

 其夜は源太床に入りても中※[#二の字点、1−2−22]眠らず、一番鶏二番鶏を耳たしかに聞て朝も平日《つね》よりは夙《はよ》う起き、含嗽《うがひ》手水《てうづ》に見ぬ夢を洗つて熱茶一杯に酒の残り香を払ふ折しも、むく/\と起き上つたる清吉|寝惚眼《ねぼれめ》をこすり/\怪訝顔してまごつくに、お吉とも/″\噴飯《ふきだ》して笑ひ、清吉昨夜は如何したか、と嬲《なぶ》れば急に危坐《かしこま》つて無茶苦茶に頭を下げ、つい御馳走になり過ぎて何時か知らず寝て仕舞ひました、姉御、昨夜|私《わつち》は何か悪いことでも為は仕ませぬか、と心配相に尋ぬるも可笑く、まあ何でも好いは、飯でも食つて仕事に行きやれ、と和《やさ》しく云はれてます/\畏《おそ》れ、恍然《うつとり》として腕を組み頻りに考へ込む風情、正直なるが可愛らし。
 清吉を出しやりたる後、源太は尚も考にひとり沈みて日頃の快活《さつぱり》とした調子に似もやらず、碌※[#二の字点、1−2−22]お吉に口さへきかで思案に思案を凝らせしが、あゝ解つたと独り言するかと思へば、愍然《ふびん》なと溜息つき、ゑゝ抛《なげ》やうかと云ふかとおもへば、何して呉れうと腹立つ様子を傍にてお吉の見る辛さ、問ひ慰めんと口を出せば黙つて居よとやりこめられ、詮方なさに胸の中にて空しく心をいたむるばかり。源太は其等に関ひもせず夕暮方まで考へ考へ、漸く思ひ定めやしけむ衝《つ》と身を起して衣服をあらため、感応寺に行き上人に見《まみ》えて昨夜の始終をば隠すことなく物語りし末、一旦は私も余り解らぬ十兵衞の答に腹を立てしものゝ帰つてよく/\考ふれば、仮令ば私一人して立派に塔は建つるにせよ、それでは折角御諭しを受けた甲斐無く源太がまた我慾にばかり強いやうで男児《をとこ》らしうも無い話し、といふて十兵衞は十兵衞の思わくを滅多に捨はすまじき様子、彼も全く自己《おのれ》を押へて譲れば源太も自己を押へて彼に仕事をさせ下されと譲らねばならぬ義理人情、いろ/\愚昧《おろか》な考を使つて漸く案じ出したことにも十兵衞が乗らねば仕方なく、それを怒つても恨むでも是非の無い訳、既《はや》此上には変つた分別も私には出ませぬ、唯願ふはお上人様、仮令ば十兵衞一人に仰せつけられますればとて私かならず何とも思ひますまいほどに、十兵衞になり私になり二人共※[#二の字点、1−2−22]になり何様《どう》とも仰せつけられて下さりませ、御口づからの事なれば十兵衞も私も互に争ふ心は捨て居りまするほどに露さら故障はござりませぬ、我等二人の相談には余つて願ひにまゐりました、と実意を面に現しつゝ願へば上人ほく/\笑はれ、左様ぢやろ左様ぢやろ、流石に汝《そなた》も見上げた男ぢや、好い/\、其心掛一つで既う生雲塔見事に建てたより立派に汝はなつて居る、十兵衞も先刻《さつき》に来て同じ事を云ふて帰つたは、彼も可愛い男ではないか、のう源太、可愛がつて遣れ可愛がつて遣れ、と心あり気に云はるゝ言葉を源太早くも合点して、ゑゝ可愛がつて遣りますとも、といと清《すゞ》しげに答れば、上人満面皺にして悦び玉ひつ、好いは好いは、嗚呼気味のよい男児ぢやな、と真から底から褒美《ほめ》られて、勿体なさはありながら源太おもはず頭をあげ、お蔭で男児になれましたか、と一語に無限の感慨を含めて喜ぶ男泣き。既此時に十兵衞が仕事に助力せん心の、世に美しくも湧たるなるべし。

       其二十

 十兵衞感応寺にいたりて朗圓上人に見《まみ》え、涙ながらに辞退の旨云ふて帰りし其日の味気無さ、煙草のむだけの気も動かすに力無く、茫然《ぼんやり》としてつく/″\我が身の薄命《ふしあはせ》、浮世の渡りぐるしき事など思ひ廻《めぐら》せば思ひ廻すほど嬉しからず、時刻になりて食ふ飯の味が今更|異《かは》れるではなけれど、箸持つ手さへ躊躇《たゆた》ひ勝にて舌が
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