ものは真実《ほんと》、真実でござりまする上人様、晴れて居る空を見ても燈光《あかり》の達《とゞ》かぬ室《へや》の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬつと突立つて私を見下して居りまするは、とう/\自分が造りたい気になつて、到底《とても》及ばぬとは知りながら毎日仕事を終ると直に夜を籠めて五十分一の雛形をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下され御上人様、頼まれもせぬ仕事は出来て仕たい仕事は出来ない口惜さ、ゑゝ不運ほど情無いものはないと私《わし》が歎けば御上人様、なまじ出来ずば不運も知るまいと女房《かゝ》めが其雛形《それ》をば揺り動かしての述懐、無理とは聞えぬだけに余計泣きました、御上人様御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され、拝みます、こゝ此通り、と両手を合せて頭を畳に、涙は塵を浮べたり。
其七
木彫の羅漢のやうに黙※[#二の字点、1−2−22]と坐りて、菩提樹の実の珠数《ずゞ》繰りながら十兵衞が埓なき述懐に耳を傾け居られし上人、十兵衞が頭を下ぐるを制しとゞめて、了解《わか》りました、能く合点が行きました、あゝ殊勝な心掛を持つて居らるゝ、立派な考へを蓄へてゐらるゝ、学徒どもの示しにも為たいやうな、老衲《わし》も思はず涙のこぼれました、五十分一の雛形とやらも是非見にまゐりませう、然し汝に感服したればとて今直に五重の塔の工事《しごと》を汝に任するはと、軽忽《かるはずみ》なことを老衲の独断《ひとりぎめ》で云ふ訳にもならねば、これだけは明瞭《はつきり》とことわつて置きまする、いづれ頼むとも頼まぬとも其は表立つて、老衲からではなく感応寺から沙汰を為ませう、兎も角も幸ひ今日は閑暇《ひま》のあれば汝が作つた雛形を見たし、案内して是より直に汝が家へ老衲を連れて行ては呉れぬか、と毫《すこし》も辺幅《やうだい》を飾らぬ人の、義理《すぢみち》明かに言葉|渋滞《しぶり》なく云ひたまへば、十兵衞満面に笑を含みつゝ米|舂《つ》くごとく無暗に頭を下げて、唯《はい》、唯、唯と答へ居りしが、願ひを御取上げ下されましたか、あゝ有難うござりまする、野生《わたくし》の宅《うち》へ御来臨《おいで》下さりますると、あゝ勿体ない、雛形は直に野生めが持つてまゐりまする、御免下され、と云ひさま流石ののつそりも喜悦に狂して平素《つね》には似ず、大袈裟に一つぽつくりと礼をばするや否や、飛石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰つたと一言女房にも云はず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟《よく》視《み》たまふに、初重より五重までの配合《つりあひ》、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木《たるき》の割賦《わりふり》、九輪請花露盤宝珠《くりんうけばなろばんはうじゆ》の体裁まで何所に可厭《いや》なるところもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるゝほど巧緻《たくみ》なれば、独り私《ひそか》に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼《わきめ》にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あはれ如是《かゝる》ものに成るべきならば功名《てがら》を得させて、多年抱ける心願《こゝろだのみ》に負《そむ》かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁仮和合《いんねんけわがふ》、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令《たとへ》ば木匠《こだくみ》の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概《あらまし》は忘れ卑劣《きたな》き念《おもひ》も起さず、唯只鑿をもつては能く穿《ほ》らんことを思ひ、鉋《かんな》を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比《たぐ》へ難きを、僅に残す便宜《よすが》も無くて徒らに北※[#「氓のへん+おおざと」、第3水準1−92−61]《ほくばう》の土に没《うづ》め、冥途《よみぢ》の苞《つと》と齎し去らしめんこと思へば憫然《あはれ》至極なり、良馬|主《しゆう》を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異《かは》ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度《こたび》の工事を彼に命《いひつ》け、せめては少しの報酬《むくい》をば彼が誠実《まこと》の心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂|庫裏《くり》客殿作らせし因みもあり、然も設計予算《つもりがき》まで既《はや》做《な》し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕《うで》は彼とて鈍きにあらず、人の信用《うけ》は遥に十兵衞に超たり。一ツの工事に二人の番匠、此にも為せたし彼にも為せたし、那箇
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