》と答へて障子引き開けしが、応接に慣れたるものの眼|捷《ばや》く人を見て、敷台までも下りず突立ちながら、用事なら庫裡の方へ廻れ、と情無《つれな》く云ひ捨てゝ障子ぴつしやり、後は何方《どこ》やらの樹頭《き》に啼く鵯《ひよ》の声ばかりして音もなく響きもなし。成程と独言しつゝ十兵衞庫裡にまはりて復案内を請へば、用人爲右衞門仔細らしき理屈顔して立出で、見なれぬ棟梁殿、何所《いづく》より何の用事で見えられた、と衣服《みなり》の粗末なるに既《はや》侮り軽しめた言葉遣ひ、十兵衞さらに気にもとめず、野生《わたくし》は大工の十兵衞と申すもの、上人様の御眼にかゝり御願ひをいたしたい事のあつてまゐりました、どうぞ御取次ぎ下されまし、と首《かうべ》を低くして頼み入るに、爲右衞門ぢろりと十兵衞が垢臭き頭上《あたま》より白の鼻緒の鼠色になつた草履穿き居る足先まで睨め下し、ならぬ、ならぬ、上人様は俗用に御関りはなされぬは、願といふは何か知らねど云ふて見よ、次第によりては我が取り計ふて遣る、と然《さ》も/\万事心得た用人めかせる才物ぶり。それを無頓着の男の質朴《ぶきよう》にも突き放して、いゑ、ありがたうはござりますれど上人様に直※[#二の字点、1−2−22]で無うては、申しても役に立ちませぬ事、何卒たゞ御取次を願ひまする、と此方の心が醇粋《いつぽんぎ》なれば先方《さき》の気に触る言葉とも斟酌せず推返し言へば、爲右衞門腹には我を頼まぬが憎くて慍《いか》りを含み、理《わけ》の解らぬ男ぢやの、上人様は汝《きさま》ごとき職人等に耳は仮したまはぬといふに、取次いでも無益《むやく》なれば我が計ふて得させんと、甘く遇《あしら》へば附上る言分、最早何も彼も聞いてやらぬ、帰れ帰れ、と小人の常態《つね》とて語気たちまち粗暴《あら》くなり、謬《にべ》なく言ひ捨て立んとするに周章《あわ》てし十兵衞、ではござりませうなれど、と半分いふ間なく、五月蠅、喧しいと打消され、奥の方に入られて仕舞ふて茫然《ぼんやり》と土間に突立つたまゝ掌《て》の裏《うち》の螢に脱去《ぬけ》られし如き思ひをなしけるが、是非なく声をあげて復案内を乞ふに、口ある人の有りや無しや薄寒き大寺の岑閑《しんかん》と、反響《ひゞき》のみは我が耳に堕ち来れど咳声《しはぶき》一つ聞えず、玄関にまはりて復頼むといへば、先刻《さき》見たる憎気な怜悧|小僧《こばうず》の一寸顔出して、庫裡へ行けと教へたるに、と独語《つぶや》きて早くも障子ぴしやり。
復庫裡に廻り復玄関に行き、復玄関に行き庫裡に廻り、終には遠慮を忘れて本堂にまで響く大声をあげ、頼む/\御頼申すと叫べば、其声《それ》より大《でか》き声を発《いだ》して馬鹿めと罵りながら爲右衞門づか/\と立出で、僮僕《をとこ》ども此|狂漢《きちがひ》を門外に引き出せ、騒※[#二の字点、1−2−22]しきを嫌ひたまふ上人様に知れなば、我等が此奴のために叱らるべしとの下知、心得ましたと先刻より僕人《をとこ》部屋に転がり居し寺僕《をとこ》等立かゝり引き出さんとする、土間に坐り込んで出されじとする十兵衞。それ手を取れ足を持ち上げよと多勢口※[#二の字点、1−2−22]に罵り騒ぐところへ、後園の花二枝三枝|剪《はさ》んで床の眺めにせんと、境内彼方此方逍遥されし朗圓上人、木蘭色《もくらんじき》の無垢を着て左の手に女郎花桔梗、右の手に朱塗《しゆ》の把りの鋏持たせられしまゝ、図らず此所に来かゝりたまひぬ。
其六
何事に罵り騒ぐぞ、と上人が下したまふ鶴の一声の御言葉に群雀の輩《ともがら》鳴りを歇《とゞ》めて、振り上げし拳を蔵《かく》すに地《ところ》なく、禅僧の問答に有りや有りやと云ひかけしまゝ一喝されて腰の折《くだ》けたる如き風情なるもあり、捲り縮めたる袖を体裁《きまり》悪げに下して狐鼠※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《こそ/\》と人の後に隠るゝもあり。天を仰げる鼻の孔より火烟も噴べき驕慢の怒に意気昂ぶりし爲右衞門も、少しは慚《は》ぢてや首を俛《た》れ掌《て》を揉みながら、自己《おのれ》が発頭人なるに是非なく、有し次第を我田に水引き/\申し出れば、痩せ皺びたる顔に深く長く痕《つ》いたる法令の皺溝《すぢ》をひとしほ深めて、につたりと徐《ゆるや》かに笑ひたまひ、婦女《をんな》のやうに軽く軟かな声小さく、それならば騒がずともよいこと、爲右衞門|汝《そなた》がたゞ従順《すなほ》に取り次さへすれば仔細は無うてあらうものを、さあ十兵衞殿とやら老衲《わし》について此方へ可来《おいで》、とんだ気の毒な目に遇はせました、と万人に尊敬《うやま》ひ慕はるゝ人は又格別の心の行き方、未学を軽んぜず下司をも侮らず、親切に温和《ものやさ》しく先に立て静に導きたまふ後について、迂濶な根性にも慈
前へ
次へ
全34ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング