れど、また云ひ出さば笑はれむと自分で呵《しか》つて平日《いつも》よりは笑顔をつくり言葉にも活気をもたせ、溌※[#二の字点、1−2−22]《いき/\》として夫をあしらひ子をあしらへど、根が態とせし偽飾《いつはり》なれば却つて笑ひの尻声が憂愁《うれひ》の響きを遺して去る光景《ありさま》の悲しげなるところへ、十兵衞殿お宅か、と押柄《あふへい》に大人びた口きゝながら這入り来る小坊主、高慢にちよこんと上り込み、御用あるにつき直と来られべしと前後《あとさき》無しの棒口上。
 お浪も不審、十兵衞も分らぬことに思へども辞《いな》みもならねば、既《はや》感応寺の門くゞるさへ無益《むやく》しくは考へつゝも、何御用ぞと行つて問へば、天地顛倒こりや何《どう》ぢや、夢か現か真実か、圓道右に爲右衞門左に朗圓上人|中央《まんなか》に坐したまふて、圓道言葉おごそかに、此度|建立《こんりふ》なるところの生雲塔の一切工事川越源太に任せられべき筈のところ、方丈思しめし寄らるゝことあり格別の御詮議例外の御慈悲をもつて、十兵衞其方に確《しか》と御任せ相成る、辞退の儀は決して無用なり、早※[#二の字点、1−2−22]ありがたく御受申せ、と云ひ渡さるゝそれさへあるに、上人皺枯れたる御声にて、これ十兵衞よ、思ふ存分|仕遂《しと》げて見い、好う仕上らば嬉しいぞよ、と荷担《になふ》に余る冥加の御言葉。のつそりハッと俯伏せしまゝ五体を濤《なみ》と動《ゆる》がして、十兵衞めが生命はさ、さ、さし出しまする、と云ひし限《ぎ》り喉《のど》塞《ふさ》がりて言語絶え、岑閑《しんかん》とせし広座敷に何をか語る呼吸の響き幽《かすか》にしてまた人の耳に徹しぬ。

       其二十一

 紅蓮白蓮の香《にほひ》ゆかしく衣袂《たもと》に裾に薫り来て、浮葉に露の玉|動《ゆら》ぎ立葉に風の軟《そよ》吹《ふ》ける面白の夏の眺望《ながめ》は、赤蜻蛉|菱藻《ひしも》を嬲《なぶ》り初霜向ふが岡の樹梢《こずゑ》を染めてより全然《さらり》と無くなつたれど、赭色《たいしや》になりて荷《はす》の茎ばかり情無う立てる間に、世を忍び気《げ》の白鷺が徐※[#二の字点、1−2−22]《そろり》と歩む姿もをかしく、紺青色に暮れて行く天《そら》に漸く輝《ひか》り出す星を脊中に擦つて飛ぶ雁の、鳴き渡る音も趣味《おもむき》ある不忍の池の景色を下物《さかな》の外の下物にして
前へ 次へ
全67ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング