石に蹴躓きながら駈け出して我家に帰り、帰つたと一言女房にも云はず、いきなりに雛形持ち出して人を頼み、二人して息せき急ぎ感応寺へと持ち込み、上人が前にさし置きて帰りけるが、上人これを熟《よく》視《み》たまふに、初重より五重までの配合《つりあひ》、屋根庇廂の勾配、腰の高さ、椽木《たるき》の割賦《わりふり》、九輪請花露盤宝珠《くりんうけばなろばんはうじゆ》の体裁まで何所に可厭《いや》なるところもなく、水際立つたる細工ぶり、此が彼不器用らしき男の手にて出来たるものかと疑はるゝほど巧緻《たくみ》なれば、独り私《ひそか》に歎じたまひて、箇程の技倆を有ちながら空しく埋もれ、名を発せず世を経るものもある事か、傍眼《わきめ》にさへも気の毒なるを当人の身となりては如何に口惜きことならむ、あはれ如是《かゝる》ものに成るべきならば功名《てがら》を得させて、多年抱ける心願《こゝろだのみ》に負《そむ》かざらしめたし、草木とともに朽て行く人の身は固より因縁仮和合《いんねんけわがふ》、よしや惜むとも惜みて甲斐なく止めて止まらねど、仮令《たとへ》ば木匠《こだくみ》の道は小なるにせよ其に一心の誠を委ね生命を懸けて、慾も大概《あらまし》は忘れ卑劣《きたな》き念《おもひ》も起さず、唯只鑿をもつては能く穿《ほ》らんことを思ひ、鉋《かんな》を持つては好く削らんことを思ふ心の尊さは金にも銀にも比《たぐ》へ難きを、僅に残す便宜《よすが》も無くて徒らに北※[#「氓のへん+おおざと」、第3水準1−92−61]《ほくばう》の土に没《うづ》め、冥途《よみぢ》の苞《つと》と齎し去らしめんこと思へば憫然《あはれ》至極なり、良馬|主《しゆう》を得ざるの悲み、高士世に容れられざるの恨みも詮ずるところは異《かは》ることなし、よし/\、我図らずも十兵衞が胸に懐ける無価の宝珠の微光を認めしこそ縁なれ、此度《こたび》の工事を彼に命《いひつ》け、せめては少しの報酬《むくい》をば彼が誠実《まこと》の心に得させんと思はれけるが、不図思ひよりたまへば川越の源太も此工事を殊の外に望める上、彼には本堂|庫裏《くり》客殿作らせし因みもあり、然も設計予算《つもりがき》まで既《はや》做《な》し出して我眼に入れしも四五日前なり、手腕《うで》は彼とて鈍きにあらず、人の信用《うけ》は遥に十兵衞に超たり。一ツの工事に二人の番匠、此にも為せたし彼にも為せたし、那箇
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