言語体の文章と浮雲
幸田露伴

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)抑《そもそも》
−−

 二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑《そもそも》まだ私などが文筆の事にたずさわらなかった程の古い昔に、彼《か》の「浮雲」でもって同君の名を知り伎倆を知り其執筆の苦心の話をも聞知ったのでありました。
 当時所謂言文一致体の文章と云うものは専ら山田美妙君の努力によって支えられて居たような勢で有りましたが、其の文章の組織や色彩が余り異様であったために、そして又言語の実際には却て遠《とおざ》かって居たような傾《かたむき》もあったために、理知の判断からは言文一致と云うことを嫌わなかったものも感情上から之を悦ばなかったようの次第でありましたが、二葉亭さんの「浮雲」に於て取られた言語体の文章は其組織や其色彩に於いて美妙君のの一派とは大分異っていた為、一部の人々をして言語体の文章と云うものについて、内心に或省察をいだかしめ、若くは感情の上に或動揺を起さしめた点の有った事は、小さな事実には過ぎなかったにせよ、事実であったのでありまして、言語体の文章も「浮雲」のようなあんなのならば言語体を取った丈の甲斐もあると云うような評が所々に聞えた事は記臆しています。私等もそういう評をもっともだと聞いて居った一人であります。明治の言語体文章に就ての美妙齋君の功績は十二分に之を認めなければならぬのでありますが、二葉亭主人の「浮雲」が与えた左様いう感じも必ずしも小さい働《はたらき》ではないと思います。文章発達史の上から云えば矢張り顧視せねばならぬ事実だと思います。
 それはまあただ文章の上だけの話でありますが、其から「浮雲」其物が有した性質が当時に作用した事も中々少くはなかったように覚えています。今でこそ別に不思議でもないのでありますが、彼《あ》の頃でああいうものは実に類例のないものであったのであります。勿論西洋のものもそろそろ入って来ては居りましたのですが、リットンものや何ぞが多く輸入されていたような訳で、而して其が漢文訳読体の文になったり、馬琴風の文の皮を被《かぶ》ったりして行われていたのでし
次へ
全2ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
幸田 露伴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング