そうして大きな長い板子《いたご》や楫《かじ》なんぞを舟の小縁《こべり》から小縁へ渡して、それに腰を掛けて、風の吹きさらしにヤタ一《いち》の客よりわるいかっこうをして釣るのでありまするから、もう遊びではありません。本職の漁師みたいな姿になってしまって、まことに哀《あわ》れなものであります。が、それはまたそれで丁度そういう調子合《ちょうしあい》のことの好きな磊落《らいらく》な人が、ボラ釣は豪爽《ごうそう》で好いなどと賞美する釣であります。が、話中の人はそんな釣はしませぬ。ケイズ釣りというのはそういうのと違いまして、その時分、江戸の前の魚はずっと大川《おおかわ》へ奥深く入りましたものでありまして、永代橋《えいたいばし》新大橋《しんおおはし》より上流《かみ》の方でも釣ったものです。それですから善女《ぜんにょ》が功徳《くどく》のために地蔵尊《じぞうそん》の御影《ごえい》を刷った小紙片《しょうしへん》を両国橋《りょうごくばし》の上からハラハラと流す、それがケイズの眼球《めだま》へかぶさるなどという今からは想像も出来ないような穿《うが》ちさえありました位です。
 で、川のケイズ釣は川の深い処で釣る場
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