見ていた時に、なんじゃないか、先についていた糸をくるくるっと捲《ま》いて腹掛《はらがけ》のどんぶりに入れちゃったじゃねえか。」
 「エエ邪魔っけでしたから。それに、今朝それを見まして、それでわっちがこっちの人じゃねえだろうと思ったんです。」
 「どうして。」
 「どうしてったって、段々細《だんだんぼそ》につないでありました。段々細につなぐというのは、はじまりの処が太い、それから次第に細いのまたそれより細いのと段々細くして行く。この面倒な法は加州《かしゅう》やなんぞのような国に行くと、鮎《あゆ》を釣るのに蚊鉤《かばり》など使って釣る、その時蚊鉤がうまく水の上に落ちなければまずいんで、糸が先に落ちて後《あと》から蚊鉤が落ちてはいけない、それじゃ魚《さかな》が寄らない、そこで段々細の糸を拵えるんです。どうして拵えますかというと、鋏《はさみ》を持って行って良い白馬の尾の具合のいい、古馬にならないやつのを頂戴して来る。そうしてそれを豆腐《とうふ》の粕《かす》で以て上からぎゅうぎゅうと次第々々にこく。そうすると透き通るようにきれいになる。それを十六本、右|撚《よ》りなら右撚りに、最初は出来ないけれども少し慣れると訳なく出来ますことで、片撚《かたよ》りに撚る。そうして一つ拵える。その次に今度は本数を減らして、前に右撚りなら今度は左撚りに片撚りに撚ります。順々に本数をへらして、右左をちがえて、一番終いには一本になるようにつなぎます。あっしあ加州の御客に聞いておぼえましたがネ、西の人は考《かんがえ》がこまかい。それが定跡《じょうせき》です。この竿は鮎をねらうのではない、テグスでやってあるけれども、うまくこきがついて順減《じゅんべ》らしに細くなって行くようにしてあります。この人も相当に釣に苦労していますね、切れる処を決めて置きたいからそういうことをするので、岡釣じゃなおのことです、何処《どこ》でも構わないでぶっ込むのですから、ぶち込んだ処にかかりがあれば引《ひっ》かかってしまう。そこで竿をいたわって、しかも早く埒《らち》の明《あ》くようにするには、竿の折れそうになる前に切れ処《どこ》から糸のきれるようにして置くのです。一番先の細い処から切れる訳だからそれを竿の力で割出《わりだ》していけば、竿に取っては怖いことも何もない。どんな処へでもぶち込んで、引《ひっ》かかっていけなくなったら竿は折れずに糸が切れてしまう。あとはまた直ぐ鉤《はり》をくっつければそれでいいのです。この人が竿を大事にしたことは、上手に段々細にしたところを見てもハッキリ読めましたよ。どうも小指であんなに力を入れて放さないで、まあ竿と心中《しんじゅう》したようなもんだが、それだけ大事にしていたのだから、無理もねえでさあ。」
などと言っている中《うち》に雨がきれかかりになりました。主人は座敷、吉は台所へ下《さが》って昼の食事を済ませ、遅いけれども「お出《で》なさい」「出よう」というので以て、二人は出ました。無論その竿を持って、そして場処に行くまでに主人は新しく上手に自分でシカケを段々細に拵えました。
 さあ出て釣り始めると、時々雨が来ましたが、前の時と違って釣れるわ、釣れるわ、むやみに調子の好い釣になりました。とうとうあまり釣れるために晩《おそ》くなって終いまして、昨日《きのう》と同じような暮方《くれがた》になりました。それで、もう釣もお終いにしようなあというので、蛇口から糸を外《はず》して、そうしてそれを蔵《しま》って、竿は苫裏《とまうら》に上げました。だんだんと帰って来るというと、また江戸の方に燈《ひ》がチョイチョイ見えるようになりました。客は昨日からの事を思って、この竿を指を折って取ったから「指折《ゆびお》※[#「※」は小書きの「リ」]」と名づけようかなどと考えていました。吉はぐいぐい漕いで来ましたが、せっせと漕いだので、艪臍《ろべそ》が乾いて来ました。乾くと漕ぎづらいから、自分の前の処にある柄杓《ひしゃく》を取って潮《しお》を汲んで、身を妙にねじって、ばっさりと艪の臍《へそ》の処に掛けました。こいつが江戸前の船頭は必ずそういうようにするので、田舎《いなか》船頭のせぬことです。身をねじって高い処から其処《そこ》を狙ってシャッと水を掛ける、丁度その時には臍が上を向いています。うまくやるもので、浮世絵《うきよえ》好みの意気な姿です。それで吉が今|身体《からだ》を妙にひねってシャッとかける、身のむきを元に返して、ヒョッと見るというと、丁度|昨日《きのう》と同じ位の暗さになっている時、東の方に昨日と同じように葭《よし》のようなものがヒョイヒョイと見える。オヤ、と言って船頭がそっちの方をジッと見る、表の間《ま》に坐っていたお客も、船頭がオヤと言ってあっちの方を見るので、その方を見ると、薄暗く
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