くれた。いや、二、三日お前にムダ骨を折らしたが、おしまいに竿が手に入るなんてまあ変なことだなア。」
 「竿が手に入るてえのは釣師には吉兆《きっちょう》でさア。」
 「ハハハ、だがまあ雨が降っている中《うち》あ出たくねえ、雨を止《や》ませる間《あいだ》遊んでいねえ。」
 「ヘイ。時に旦那、あれは?」
 「あれかい。見なさい、外鴨居《そとがもい》の上に置いてある。」
 吉は勝手の方へ行って、雑巾盥《ぞうきんだらい》に水を持って来る。すっかり竿をそれで洗ってから、見るというと如何にも良い竿。じっと二人は検《あらた》め気味《ぎみ》に詳しく見ます。第一あんなに濡れていたので、重くなっているべきはずだが、それがちっとも水が浸みていないようにその時も思ったが、今も同じく軽い。だからこれは全く水が浸みないように工夫がしてあるとしか思われない。それから節廻《ふしまわ》りの良いことは無類。そうして蛇口《へびぐち》の処を見るというと、素人細工《しろうとざいく》に違いないが、まあ上手《じょうず》に出来ている。それから一番太い手元の処を見るとちょいと細工がある。細工といったって何でもないが、ちょっとした穴を明けて、その中に何か入れでもしたのかまた塞《ふさ》いである。尻手縄《しってなわ》が付いていた跡でもない。何か解らない。そのほかには何の異《かわ》ったこともない。
 「随分|稀《めず》らしい良《い》い竿だな、そしてこんな具合の好《い》い軽い野布袋《のぼてい》は見たことがない。」
 「そうですな、野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中《うち》に少し切目《きりめ》なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左なら左の片方をそうしたのを片《かた》うきす、両方から攻める奴を諸《もろ》うきすといいます。そうして拵《こしら》えると竹が熟した時に養いが十分でないから軽い竹になるのです。」
「それはお前|俺《おれ》も知っているが、うきすの竹はそれだから萎《しな》びたようになって面白くない顔つきをしているじゃないか。これはそうじゃない。どういうことをして出来たのだろう、自然にこういう竹があったのかなア。」
 竿というものの良いのを欲しいと思うと、釣師は竹の生えている藪《やぶ》に行って自分で以《もっ》てさがしたり撰《えら》んだりして、買約束《かいやくそく》をして、自分の心のままに育てたりしますものです。そういう竹を誰でも探しに行く。少し釣が劫《こう》を経《へ》て来るとそういうことにもなりまする。唐《とう》の時に温庭※[#「※」は「たけかんむり+均」、37−11]《おんていいん》という詩人、これがどうも道楽者で高慢で、品行が悪くて仕様がない人でしたが、釣にかけては小児《こども》同様、自分で以て釣竿を得ようと思って裴氏《はいし》という人の林に這入《はい》り込んで良い竹を探した詩がありまする。一径《いっけい》互《たがい》に紆直《うちょく》し、茅棘《ぼうきょく》亦《また》已《すで》に繁《しげ》し、という句がありまするから、曲がりくねった細径《ほそみち》の茅《かや》や棘《いばら》を分けて、むぐり込むのです。歴尋《れきじん》す嬋娟《せんえん》の節、翦破《せんぱ》す蒼莨根《そうろうこん》、とありまするから、一々《いちいち》この竹、あの竹と調べまわった訳です。唐の時は釣が非常に行われて、薜氏《せつし》の池という今日まで名の残る位の釣堀《つりぼり》さえあった位ですから、竿屋だとて沢山《たくさん》ありましたろうに、当時|持囃《もてはや》された詩人の身で、自分で藪くぐりなんぞをしてまでも気に入った竿を得たがったのも、好《すき》の道なら身をやつす道理でございます。半井《なからい》卜養《ぼくよう》という狂歌師の狂歌に、浦島《うらしま》が釣の竿とて呉竹《くれたけ》の節はろくろく伸びず縮まず、というのがありまするが、呉竹の竿など余り感心出来ぬものですが、三十六節あったとかで大《おおい》に節のことを褒《ほ》めていまする、そんなようなものです。それで趣味が高じて来るというと、良いのを探すのに浮身《うきみ》をやつすのも自然の勢《いきおい》です。
 二人はだんだんと竿に見入っている中《うち》に、あの老人が死んでも放さずにいた心持が次第に分って来ました。
 「どうもこんな竹は此処《ここい》らに見かけねえですから、よその国の物か知れませんネ。それにしろ二|間《けん》の余《よ》もあるものを持って来るのも大変な話だし。浪人の楽《らく》な人だか何だか知らないけれども、勝手なことをやって遊んでいる中《うち》に中気が起ったのでしょうが、何にしろ良《い》い竿だ」と吉はいいました。
 「時にお前、蛇口を
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