半分は逆落しになって深い深い谷底へ落ちて行くのを目にしたその心持はどんなでしたろう。それで上に残った者は狂人の如く興奮し、死人の如く絶望し、手足も動かせぬようになったけれども、さてあるべきではありませぬから、自分たちも今度は滑って死ぬばかりか、不測の運命に臨んでいる身と思いながら段々|下《お》りてまいりまして、そうして漸《ようや》く午後の六時頃に幾何《いくら》か危険の少いところまで下りて来ました。
下りては来ましたが、つい先刻《さっき》まで一緒にいた人々がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらわれて終《しま》ったと思うと、不思議な心理状態になっていたに相違ありません。で、我々はそういう場合へ行ったことがなくて、ただ話のみを聞いただけでは、それらの人の心の中《うち》がどんなものであったろうかということは、先ず殆《ほとん》ど想像出来ぬのでありまするが、そのウィンパーの記したものによりますると、その時夕方六時頃です、ペーテル一族の者は山登りに馴れている人ですが、その一人がふと見るというと、リスカンという方に、ぼうっとしたアーチのようなものが見えましたので、はてナと目を留《と》めておりますると、外《ほか》の者もその見ている方を見ました。するとやがてそのアーチの処へ西洋諸国の人にとっては東洋の我々が思うのとは違った感情を持つところの十字架の形が、それも小さいのではない、大きな十字架の形が二つ、ありあり空中に見えました。それで皆もなにかこの世の感じでない感じを以《もっ》てそれを見ました、と記してありまする。それが一人見たのではありませぬ、残っていた人にみな見えたと申すのです。十字架は我々の五輪《ごりん》の塔《とう》同様なものです。それは時に山の気象で以《もっ》て何かの形が見えることもあるものでありますが、とにかく今のさきまで生きておった一行の者が亡くなって、そうしてその後《あと》へ持って来て四人が皆そういう十字架を見た、それも一人《ひとり》二人《ふたり》に見えたのでなく、四人に見えたのでした。山にはよく自分の身体《からだ》の影が光線の投げられる状態によって、向う側へ現われることがありまする。四人の中《うち》にはそういう幻影かと思った者もあったでしょう、そこで自分たちが手を動かしたり身体《からだ》を動かして見たところが、それには何らの関係がなかったと申します。
これでこの話はお終《し
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